Photos & Text by colorsmagyoge.
台風18号の通過により、暴風雨の朝を迎えた10/6(月)の湘南。
お昼頃には晴れ間が見え始めたことから、
兼ねてから狙っていた例のブレイクをチェック。
海はまだまだ荒れた状態となっていたが、
そこには15ftは余裕で越えるのではないかというほどの
巨大なうねりがヒットしていた。
前日から連絡を取り合っていた中村竜と合流すると、
このエリアを拠点とするポートレイトの神、横山泰介氏と、
surfday.tvのきんちゃんこと木本直哉氏といった
日本が誇るレジェンド・フォトグラファー2名に偶然にも遭遇。
しばらく波をチェックするが、やはり海は大荒れの状態だったので、
横山泰介氏のオーガナイズにより、波が落ち着くまで1時間ほど
シークレット的な周辺のブレイクをチェックしに行くことに。
colorsmagにとっては未知なるポイントをオーガナイズしてもらい、
とても貴重な体験となった波チェックとなったが、
その間に、兼ねてから連絡を取り合い待ち合わせの約束をしていた
日本を代表するビッグウェイバー故・佐久間洋之介の実弟、佐久間泰介に加え、
佐藤和也、松岡慧斗、そしてこのポイントでサーフィンするのは今回が初めてという
大橋海人と湯川正人がyono peakに到着。
サーフィンするにはとても危険なコンディションだったyono peakは、
みるみるうちに落ち着いていったようで、
帰り道の途中で
「先にパドルアウトしているよ」
という連絡が中村竜から入り、急いで戻るとすでに中村と松岡、佐久間は
アウトにラインナップしており、その後を追うようにして
佐藤和也、大橋海人、湯川正人といった3名の茅ヶ崎BOYZが
ちょうどパドルアウトしているところだった。
慌ててカメラを構えると、中村、松岡、佐久間がラインアップしている
遥か沖に巨大なセットが入ってきた。
が、すでにサイズ測定不可能に思えるほど大きなその波は、
いつもこのポイントがブレイクする棚よりも
もうひとつアウトサイドにあたる沖合の棚にヒット。
3人の中の1人だけは上手くその波をかわすことができたが、
残る2名はスープだけでもトリプルオーバーはありそうなその波を
インパクトゾーンで喰らうハメとなった。
そのうちのひとりはなんとかサーフボードをたぐり寄せ、
再びアウトへとパドルアウトしていったが、しかし、
もうひとりの姿は一度水面に浮上したが、もう一度海中に引きずり込まれたのか、
なかなか確認できずにいた。
まさか、リーシュが切れてボードが流され、深い海底に引きずり込まれたか。
岸で見ていたギャラリーたちは、一瞬最悪の事態を想定した。
「やばいぞ!ボードが流されている!!」
と、誰かが言った。
が、実際にはボードは流されておらず、真っ二つに折れてしまったようだった。
あまりにも波と海のスケールがでかく、
いったいそれが誰なのかすぐに確認できなかったが、
しばらくすると、真っ二つになったボードを片手に、
ビーチを歩くサーファーの姿が見えた。
それは、紛れもなく中村竜だった。
Ryu Nakamura.
悔しくも狙った波を掴むことができなかった中村だったが、
この海に立ち向かうその勇気と、積み重ねてきた経験があることに
素直にリスペクトである。
波は、佐藤、大橋、湯川といった3名がラインナップする
インサイドのファーストピークであっても充分巨大であった。
そんななか、なんとか波を掴んだ佐藤と大橋、湯川の3名だったが、
あまりにも海が荒れた状態であったことから
先輩にあたる佐藤の経験から来る判断からこれは危険だということになり、
小振りながら1、2本の波を掴むと、一足先に海から上がってきた。
Masato Yukawa.
Kaito Ohashi.
アウトには松岡と佐久間の2名のみが残された状態となった。
海は徐々に落ち着いてきていたが、それでもまだまだ巨大であることは一目瞭然であった。
そんななか、遥かアウトの棚にヒットする特大セットが数本入る。
勇敢にパドルし、その波を掴もうとする松岡と佐久間だったが、
見た目以上に水の量が多いため、
なかなかボードを引っ掛けることができず苦戦を強いられた。
そんなことを繰り返して3、40分が過ぎた頃。
沖合に入ったセットの波に、松岡慧斗がテイクオフ。
それは、想像以上に大きなサイズで、10オーバーは余裕で越えているように見えた。
少なくともこのポイントで何度か撮影を重ねて来たcolorsmagにとっては
いままでで一番大きな波であることに違いなかった。
biggest wave of this session by Keito”K80″Matsuoka.
が、最後のセクションで巨大なスープを喰らいワイプアウト。
「あのセクションは抜けられると思っていたけど予想以上にパワフルではじき飛ばされました」
と、海から上がってきてからその悔しさを語った松岡の言葉の通り、
これでは終わらぬと言わんばかりにもう一本ミドルの波を掴み、
見事に決めて海から上がってきた。
まさにこのハードコンディションにおいても
觔斗雲に乗る孫悟空の如く大波を乗りこなす松岡に
またしても本物のスキルを感じずにはいられなかった。
それは、十代の頃に生前の佐久間洋之介に弟のようにかわいがられていた
松岡ならではのずば抜けた実力だと言えた。
last wave of Keito”K80″Matsuoka.
これで沖に残るのは、アマチュアサーファーの佐久間たったひとりとなった。
海は徐々に落ち着いてきてはいたが、
それでもセットが入ればまだまだ6ftオーバーはあるように見えた。
アウターリーフにヒットするのが特徴のyono peakは、
岸から近い普通のブレイクとは違って大海原のど真ん中でブレイクするうえ、
見た目以上に潮の流れも速いことから、
ひとりで沖にいると、自分が一体どこで波を待っているのか
わからなくなりがちなポイントだと言えた。
「もう危ないから上がってきた方が良いのに」
見ていた仲間の誰かが言った。
が、たとえひとりぼっちでも沖にラインナップし、
じっと波を待ち続ける佐久間の姿からは、
まったく海から上がって来そうな様子は伺えなかった。
むしろ、
「絶対に1本決めてやる」
そんな強い想いすら伝わってくるほど、気迫に満ちていた。
佐久間の目の前に、セットの波が数本入ってきた。
が、自分が思っていたよりもインサイドに位置していたことから、
無情にも佐久間はこの強烈な波を真下で喰らうこととなってしまった。
想像を絶するほどの水量からなる強烈な波をインパクトで喰らい、
さらにインサイドまで引きずり込まれた佐久間は、
その後入ってきたセットを続けざまに数本喰らい、
気がつけばゴツゴツの岩が顔を出す危険な磯の浅瀬ゾーンまで引きずり込まれた。
これでもう上がって来い。
誰もがそう願うなか、佐久間の無事を確認するべく望遠レンズを覗いてみると、
それでも沖に向かってパドルする佐久間の姿を確認。
今は亡き兄、洋之介に対する思いなのか、プライドなのか。
その意志の強さの凄まじさに、ど肝を抜かれたことは言うまでもない。
そんな佐久間が再び沖のラインナップ・ポジションにたどり着いた頃には
すでに陽は傾きはじめていた。
「泰介がちゃんと岸に上がってくるまで、最後までしっかりみんなでみていてあげよう」
中村竜が言った。
こういった生死に関わるコンディションの危険さを熟知するがゆえの、
中村の言葉だった。
心配な気持ちを胸に2、30分ほど経った頃。
ようやく次のセットが入ってきた。
佐久間はこの波を目の前に、迷うことなくボードを返してパドリングを開始。
が、テイクオフのタイミングがギリギリとなってしまったことから、
不運にもこの波ではパーリングとなり、かなり長い時間水面に姿を現すことなく
波に飲まれ続け、またしても危険な磯ゾーンまで引きずり込まれてしまった。
さすがにこれにて体力の限界が来たのか、
ようやく佐久間が岸に向かってパドリングしはじめた。
一同が胸を撫で下ろしたことは言うまでもない。
それほどまでに緊迫した空気に包まれた、今回の命がけのセッションであった。
「今日のyono peakの沖には、間違いなく洋之介がいた」
20分ほどかけて岸に戻ってきた佐久間は、
夕陽に染まるyono peakを眺め、待ち受けていた仲間たちにぼそりとそうつぶやいた。
それはcolorsmagやきんちゃん、横山泰介氏も含め、
見えない磁場に引き寄せられるかのように
この日のセッションに参加した誰もが、
どこかで感じていた感覚に違いなかった。
「それじゃあ、また!!」
台風一過特有の美しいサンセットを眺め納めると、
そう言ってそれぞれ帰路についていった今回のセッションを共にしたクルーたち。
現在日本列島に接近中の台風19号は、今度こそは素晴らしい波をyono peakへと届け、
記念すべき第一回目となる”洋之介メモリアルカップ葉山”を開催へと導くこととなるのか!?
それは神のみぞ知ることである。
とにもかくにも、台風18号のセッションを締めくくるのにふさわしい
素晴らしい一日となったことは言うまでもない。
一生滑走!!!