Photos & Text by yy.

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ロサンゼルス北部の街ランカスターにある美術館MOAH(Museume of Art & History)

にてクリスチャン・フレッチャーの父親でもあり、

近代サーフヒストリーの中でも唯一無二の存在であるハービー・フレッチャーが個人所有する

サーフボードコレクションやアートが展示されているアートショー

“Path of a Wave Warrior”が現在開催されている。

幸運にもレセプション前日の関係者内見に

クリスチャン・フレッチャーと共に訪れる機会に恵まれた。

サンクレメンテのクリスチャンの家からLAの渋滞を抜け

約3時間の長いドライブからミュージアムに到着すると、

既にハービーさんと奥さんのディビさんは最終の準備で忙しそうだった。

吹き抜けた広い間取りの建物の中には作品スケールの大きさもさることながら、

ボードコレクションの歴史と奥深さに感嘆とし、

到着するいやな興奮と衝撃まじりのため息が出てしまった。

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グレッグ・ノールと製作したDuke Kahanamokuのレプリカボード。

樹齢数百年というコアの木を用いたモダンサーフヒストリーの始まりでもある。

これぞ本物のオリジナルKook Boxと言えるだろう。

さらに50年代から60年代にかけての初期のワイメアガン。

ローリー・ラッセル使用のジェリー・ロペスが削ったLightning Boltの板。

70年代“Thrill Is Back” と言うスローガンの基、

板が躍進的に短くなっていく70年代にログでも無くショートでも無く、

現代のオルタナサーフ文化よりも先を行っていたリベラル感極まりない

スクウェアノーズのボードには、インディアンの血を引くフレッチャー家の

家紋でもあるアロー(矢)マークが施されている。

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同じく”Thrill Is Back”の70年代より

漆黒のダース・ベイダーよろしく黒をベースに白のアローが入ったスクェアノーズボード。

そして息子クリスチャンが80年代後期にシェープした4’10″は、

当時としては、その短さの為に誰もその秘める性能に気付いていなかっであろう

元祖オリジナル・エアリアルマスター・ボードと言って過言ではない逸品だ。

さらに近年に至っては、驚愕前人未到のタヒチ チョープー爆弾に突っ込んだ

フレッチャー家の次男ネイザンが使用したトウボード。

とてもじゃないが、それぞれの写真とボードが持つ歴史の深さと

そこに宿るストーリーは、ここでは書き切れない程の量と圧巻の存在感であった。

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モダンサーフィンカルチャーの黎明期より現在に至るまでの50年程の歴史が

個人の所有物にて殆ど完結出来るだけでも凄い話しなのだが、

それ以上にアーティストとして製作したハービーさんの

数々のアート作品のパワーにも圧倒されてしまった。

昨年、今年とニューヨークやロサンゼルスにて開催された個展

“Wrecktangles” (もつれた残骸達)。

ノースショア、コダックリーフ(パイプライン、バックドア、オフザウォール辺り)で餌食となり

幾つものピースに分かれたサーフボード。

その一つ一つの板に貼ってあるスポンサーステッカーを見れば分かる様に、

作品に使用されている折れた板は全て、

一流のプロやヘビーローカルの所有物であった。

それらを繋ぎ合わせ一つの作品にする、

“Wrecktangles”のアイコニックと言える作品。

シンプルな作品の様な気もするが、

作品の大きさと作品から放たれるパワーは尋常ではなかった。

魂が作品に宿るとはこの作品の佇まいを言うのであろう。

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その他にもサーフボードを作る行程で必要なレジン(樹脂)と

ファイバーグラスを使用して作成された3Dアブストラクト絵画。

固めたレジンを何層にもして琥珀の様に透き通り輝く作品など、

サーフィンをしない人々や、サーファーとしてハービーさんを知らない人々でも

これらのアート作品が発するパワーに全てを納得させられてしまうであろう。

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さらに特筆すべきは、映画バスキアなど映画監督しても著名な

ジュリアン・シュナーベルとの協同プロジェクトでもある”Blind Girl Surf Club” 。

作品の値段で価値を決める様な無粋なことは言いたくは無いが、

真っ黒な板にアストロデッキが施され、

ノーズ付近には目隠しされた少女の絵が描かれていた。

これらの関連する作品は一点数百万。

いや、現在ではもしかするとそれ以上かも知れない。

近代アート史から見ても、間違いなく評価の高い作品に違いないだろう。

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兎に角、圧巻されっぱしなしの歴史的作品とアーカイブの数々。

食い入る様に眺めていると、後ろから

「ファー」

とお馴染みのハービーさん節が聞こえてきた。

「どうだ?沢山あるだろ?オフィス(アストロデッキ)から選んで持って来たけど、まだまだ沢山あってこれが全部じゃないからな。日本でもアートショーをやりたいから、早く段取りをしてくれ」

さらにハービーさんは続けた。

「ちょうどいま、最新作のWave Warriors も作ってるし、映画も撮るかも知れないから、来年辺りはフレッチャー家で日本だな? どうだ? ファー」

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御年とって六十歳のハービー大大先生。

今でも衰えることを知らず、

まだまだ溢れる創作活動とサーフィンカルチャーへの情熱。

フレッチャー・ファミリアの源とDNAを間近で感じることが出来たこと。

そして、その機会を作ってくれたクリスチャンにも感謝すると共に、

改めてアートとサーフィンの関係性、

物事に捕われすぎることの無い自由な発想の重要性を

認識させてもらった素晴らしいひと時であった。

追記:ハービー・フレッチャーやフレッチャー家のサーフカルチャーに対しての影響や歴史は過去数多の媒体やサーフ系企業より紹介されているが、NAKISURF にておなじみの船木三秀氏が運営するnaki’s blog及び2012年、雑誌NALUに寄稿した文章にて分かり易く説明されている。下記にその記事が掲載されているリンクを貼ったのでお時間がある時に是非読んで頂きたい。

http://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/42772

http://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/42733

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ