Photos by Taisuke Yokoyama & yoge. Text by yy.
Christian Fletcher. Photo by Taisuke Yokoyama.
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遡ること27年前、カリフォルニア出身の三人の少年達は
サーフィンのプロモーションの為に千葉、部原海岸を訪れた。
そして、その少年達を迎えに来た一人の日本人がいた。
その出会いは、一人のカリフォルニアの少年と一人の日本人との
間で続く長い絆の始まりでもあった。
三人の少年達の名前はディノ・アンディーノ、マット・アーチボルト、
そしてもう一人はクリスチャン・フレッチャー。
彼等を迎えに来た日本人の名前はデビル西岡、デビルマン、Nisiこと西岡昌典。
「Nisiに最初に会ったのは16歳のときプロモーションで初めて来た部原海岸だったよ。
シェーン・ホランに紹介してもらったんだ。
ディーノとアーチと俺と三人で訪れた初めての日本だったな、
スケートしたいって俺たちが言ったらシェーンがNisiに連絡してくれた。
白のフォードファルコン・コンバーチブルに乗って現れたNisiは、
俺たちを乗せて色んな所へ連れてってくれた。
当時からぶっ飛んだ奴でマジやばかったよ、
カッコ良かったし、まるでブルース・リーみたいだったな。
あの日以来Nisiは俺のヒーローで親友なんだ。」
クリスチャン・フレッチャーより
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2014年夏の終わりクリスチャン・フレッチャーは再び日本を訪れた。
27年前の初来日から既に何十回目の来日であろうか。
けれど今回はいつもと少しだけ様子が違う。
日本を訪れる際に必ず会わなければならない人物はもうここにはいない。
西岡昌典ことNisiは2014年7月23日その62年の生涯に幕を閉じた。
既にこの事実に関しては生前、彼との知己がある無いに関わらず、
多くの人々が知る訃報ではあるのだが、ここカラーズマガジンに於いては、
今に至るまで敢えて言及はしていなかった。
正直な所を言えば、Nisiが辿った軌跡や後世に伝えるべき膨大な史実、
そして故人との思い出を咀嚼して文字にしたためるには、
あまりにも時間が無く、なおかつ万人の目に触れる媒体を介して伝える事が、
果たして良い事であるか、彼が望んだであろう事かが、
分からずに時間だけが過ぎ、思いをだけをグルグルと巡らせた。
気がつけば例年よりも短かった夏も終わりを迎えようとして、
繰り返す自問自答が続くうちにクリスチャンが到着する日となり、
約束どおり成田へとアクセルを噴かした。
「先輩、遅くないッスか?もしかしたら来ないかと思ったッスよ」
「わりい、わりい、空港で板が出てこなくて足止めくらっちまったよ」
「そうッスか、いやもしかしたら今カリフォルニアは数十年の一度のウネリで爆発してるし、
それに今週末はジェイさんのパドルアウトもベニスであるって聞いたから、もしかしてと思い…..」
「おまえはまだ俺のこと分かってねぇなぁ、俺は約束は守るぜ、忘れることはよくあるけどな、
去年約束したろ帰る前の寿司屋で、おまえ忘れたのか?」
「いや、もちろん覚えてますよ、でも三人で約束した一人はもういないし……」
「だからこそ来たんだ、あいつに別れを伝え、約束を果たしにな、で色々大丈夫なのか?」
「ええまあ、取りあえず何とか落ち着いてきました、なんとか明後日の告別式までたどりつけました」
「よかった安心したよ、実は俺、葬式はあまり出ないんだ、思い出がつらいのが苦手だし、
近頃は色んな奴が逝っちまうからホント敢えて控えてる、でもNisiは別だよ」
クリスチャンは去年の夏、日本を訪れた際にNisiと約束をしている。
次回来たときは必ず一緒に旅行をし、フォトグラファーでもあるNisiと一緒に、
宮崎や彼の生まれ故郷である高知を尋ねると….
そして目標を持つことにより、人生に前向きな希望を持って欲しい、
健康になって欲しいとの願いも込めて。
残念ながらそれは実現とならなかったが、
それでもクリスチャンはあの時の約束を果たしに来日した。
「なんとか式に間に合って良かったよ、奴の生い立ちからして、
きっと色々回りの仲間も大変だったろうに、生きてる時に散々みんなの世話になって、
死んじまってもみんなを振り回して、流石サムライいやショウグンだな」
「んー、自分はなんて言って良いか分かんないッスけど、先輩だから言える言葉ですね…..
でもジェイさんの方は参列しなくても大丈夫だったんッスか?」
「もちろん誘われてるよ、ジェイも俺の大切な友達だし、でもNisiとの約束が最初だった。
それに、奴らは今一緒にあの世でグラインドしてるはずだ。
場所、人種、宗教は違えど同じ人間の人生を讃えることには違いないしな、
つまりそれは、どちらの式に参列しても同じってことだよ、わかるかその意味?」
「なるほど、すごい納得できます、まあ言ってる人が人なんで、
それも先輩しか言えない言葉ですね、説得力が凄いッス…..」
「まあ兎に角、明後日だなそれまでゆっくりするよ…」
Nisiが旅立ってからわずか数週間後の8月15日、
スケート界のレジェンド、ドッグタウンのジェイ・アダムスの訃報が世界中を駆け抜けた。
スケートやサーフィンのメディアのみならず一般のメディアでさえも
早すぎる彼の死を惜しみ、そして功績を讃えた。
サーフとスケートをする多くのコアな人々であれば周知の事実であるが、
Nisiとジェイは旧知の仲であり兄弟の様な付き合いであった。
運命のイタズラなのか偶然なのか、
皮肉にもNisiの告別式とベニスビーチにて行われるジェイのセレモニーは同じ日であった。
まるで彼等が申し合わせたかの様な出来事。
そして二人をよく知るクリスチャンが日本人唯一のドックタウナーでもあった
Nisiの人生を讃えに、約束どおり来日してる。
まるで台本でもあるような話し、いやよほど台本でもあれば淡々と進めていけば良いのだが、
ここには台本も筋書きも存在せず、
サーフィンとスケートを愛した男達が、太平洋を隔てて綴りあげた
一つの歴史を区切る筋書きの無いストーリーであった。
偶然か必然かはたまた運命か?
もしそこに筋書きがあるのであればきっとNisiが仕組んだものであろう….
この時点に於いてはまだこれからの数日間がどうなるか、
どうするかの予定も何も持っていなかった。
いや、正直言うと何かを計画したり、
どうなるかを予想して行動するなんて気には全くならなかったのだ。
「とりあえず今回はクリスチャンが言うとおりに任せよう….
色々考えても答え無いし….でも最後まで見届けよう….」
後年は敬虔なキリスト教徒であったジェイ・アダムスと対照的に
生前神社仏閣を好んだNisiの告別式は、
親しい友人達の協力の元に、横須賀にある臨済宗健長寺派の満願寺にて執り行われた。
当日はクリスチャンも無論参列し、決して大きな式では無かったが、
厳かかつ仲間達の心のこもった式であった。
ここに書くべき話しであるかは迷ったが、逝去した時はNisiは天涯孤独の身であり、
血縁関係のある近親者は存在しなかった。
通常の人生であれば当たり前の様に執り行われる告別式でさえも、
多くの友人の協力によりやっと形にできたのだ。
海外からこの日の為に参列したクリスチャンも
仏門形式の告別式に感銘を受け、参列した皆と共に厳粛に弔った。
(Nisiの人生をここで全て説明するのは到底無理な話しなので、
もし興味があれば”THE SURFER’S JOURNAL 日本語版 22.3″の特集記事
“このデビルは死なない THIS DEVIL WON’T DIE”の特集を読んで頂きたい。)
「すげークールな式だったな、感動したぜ、
何言ってんだか分かんなかったけど、奴もきっと喜んでんだろ?」
「そうですね、自分もあんまり何言ってるのか分からなかったけど、
良い式だったと思います、それに戒名も頂いたし….」
「戒名って何だ?ホーリーネームみたいなもんか? 何て書いてあるんだ?」
「新歸元 飛天西輪信士 “Shinkigen Hiten Seiwa Shinshi” です」
「どういう意味だ?」
「んー、自分一応、仏教徒ですけど薄口なんで、完璧には理解してませんが、
輪って文字はウィールのことで、西って言うのはNisiさんの文字で、
他に飛ぶとか天とかってサムライの士って意味の文字がありますよ」
「ファッキンクール!!!奴にピッタリだな!サイコウな名前だ!」
「あー、わかる、わかる先輩とNisiさんが好きそうな言葉が沢山ッスね…」
「トラディッショナルな式の次はどうすんだ?
次はもちろんパーティーだろ?奴はパーティーも大好きだったからな!」
「もちろん!パーティーです!それも無いと始まらないし、
パーティーは自分とNisiさんの約束だったんで…..」
告別式の行われた満願寺を後にして、
我々はCyxborgの最新号かつ最終号のリリースパーティーを
予定している逗子にあるSURFERSへと向かった。
Nisiは逝去する直前までライフワークでもある
Cyxborgの製作に取り組んでいた。
奇しくもほぼ完成した最新号のCyxborgの刷り上がりを待たずして去ってしまったのだが、
生前の約束でNisiが懇意にしていたSURFERSにて計画していたパーティーは、
計画通り行うことを決めていた。
それは決して追悼や故人の思い出を偲ぶようなものでは無く純粋に、
Nisiを知らない人や生前名前は知っていても交流の無い人達でも
楽しんでひと時を過ごしてもらいたいという趣向のものであった。
当日は各地より多くの人々がつどい、何百杯ものビールやテキーラが消費され、
最後はもう何が何だか、誰が誰の知り合いかも、
分からないほど皆大騒ぎし酔っぱらっていた。
これももしかするとNisiが仕組んだ筋書きの中の一つなのかも知れない。
「いやー昨日はどうやって家に帰ったか覚えてません….」
「俺は覚えてるぜ、普通だったよ…」
「マジッスか? ウソだぁ~、先輩もかなり酔ってませんでした?」
「実は朝まであの後飲んでたんだ、普段酒は殆ど飲まないけど、昨日は特別だ、長いけど良い一日だったな」
告別式とパーティーに参加して盟友に別れを告げる重要なミッションを終えたクリスチャン。
残念ながら波不足だった今年の夏の終わり、
後は少し波の残る千葉にでも出掛けて軽くサーフィンする程度に考えていた。
「湘南は波も無いし、千葉にでも行きますか?」
「いや、まだ行く所が俺にはある、Nisiの生まれ故郷の名前、なんて所だって言ってた?」
「高知ですか?四国の?」
「そうだシコクだ、コウチに行くぜ今から奴の生まれ故郷に行く!」
「分かりました、行きましょう!波が有る無し関係無く、ここまできたら高知まで行きましょう!」
天気図を見てもわかる、きっと波なんて無い、
でもそんなことは問題じゃない。
去年帰り際にNisiと交わした約束。その約束を果たしに急遽、
高知に向かうことに決めたクリスチャン。
何度も思ってしまうのだが、
最初から筋書きは空の上から我々を操るNisiによって書かれていたのかもしれない….
そして我々は西岡昌典生誕の地、
南国土佐の高知へ呼び寄せられるかの如く、羽田を後にして高知へ向かった。
To be continued….
クリスチャン・フレッチャー&西岡昌典 あの日の少年Part2 (高知編)に続く…..