Photos & Text by colorsmagyoge.

文化祭の前日際で真木蔵人 a.k.a AKTION×OJの生ライブを行ない、

鮎川中学校の全校生徒65名に束の間の元気と笑顔を与えた一行は、

その足でここ牡鹿半島でボランティア活動を行なう

遠藤さんのボランティアセンターへ。

スカイパーフェクトTVの番組「BAZOOKA」のスタッフと共に、

「9月に入ってボランティアの数がばったり減った」と語る

遠藤さんにセンター内を案内してもらった。

天井の天板が崩れ落ちて配線や鉄骨がむき出し状態となったままの

建物内を目の当たりにし地震、津波の恐ろしさを改めて感じた。

真木蔵人とcolorsmagが行なう東北、関東エリアのキッズを

西の海へ連れて行くキッズキャンプDWDCに参加している

ノリが住む気仙沼へ向うべく、ボランティアセンターを後にする前に、

通りを挟んでボランティアセンターの隣に建設中の

「仮設商店街」をバックにみなさまと記念撮影を一枚。

気仙沼までは海沿いの道を通って行こうということになり、

少し遠回りをしてみたが、なんとその道は通行止めとなっていた。

ショック。。

9月に日本を縦断して行った台風で土砂崩れでも起きたのだろうか、

それとも度重なる余震に地盤が崩れたのか。

とにかく自然の猛威には逆らうことはできないことを

改めて知りつつ、また来た道を戻り数時間かけて気仙沼へ。

DWDC一期生のノリにVOLCOM、NESTA BRAND、THREE DICE

から支給して頂いた冬物支援物資を爆撃投下したあと、

このまま気仙沼にキャンプを張るのかと思いきや、

疲労困憊の身体に鞭を打ち、

まさかのベースキャンプ地である女川の丘へ

数時間かけて戻ることに。

4.7に震度6強の余震を喰らった女川の丘に到着すると、

空腹を満たすべくBBQを開始。

一行でビールを飲みながら肉を焼き、

上機嫌な蔵人さんがラジオMCのものまねバージョンで曲をセレクトし

次々といろいろな曲が流れて行く中、気がつけば酔いも回り出し、

夜空を見上げれば天の川を彷彿とさせる幾千万もの星々。

「これから宇宙人と交信して、ここに呼び出そうぜ」

そんな蔵人さんの冗談で盛り上がっていた、そのときだった。

青灯を回したパトロールの車が女川の丘の駐車場にやって来て、

我々のベースキャンプのすぐ近くに車を止めた。

少し話し声がうるさかったのか、

それとも実はこの場所はBBQ禁止だったのか。

何か注意されるであろうと

少し緊張気味で大人しくしていた一行だったが、

あまりにも長い時間そこに車を止めたまま

こちらには何も言ってこないので、逆に安心し、

蔵人さんと一緒に焼き上がった肉を皿に盛り、

お茶を片手にパトロールカーに近づいて行った。

車には、

白髪の男性と眼鏡をかけた男性の2名が座席に腰掛けていた。

助手席の白髪の男性が窓を開けてくれたので、

「あの、もしよかったらこれ食べて下さい」と肉とお茶を差し出すと

「何しに来たの?復興支援にきたの?ありがとうね~」

と会話は和みの方向へ。

「もしよかったら向こうで肉焼いているんで来て下さい」

蔵人さんはそう言い残し、我々2名はBBQ台へと戻って行った。

すると5分もたたないうちにパトロールの男性2名が「ごちそうさま」と

皿を返しにやってきたので

「まあ、座って下さい。まだ肉もありますから。ビールでもどうですか?」

「いえいえ、ビールはさすがにパトロール中なので控えます」

などと会話しうているうちに蔵人さんが

「そういえば」と、

震災後すぐに復興支援活動に来て4.7にあった震度6強の地震を

この女川の丘の上で体験した、という話をしてみると、

やがてパトロールの男性2名は、

自分たちの3.11での体験を話しはじめた。

白髪の男性は津波によって自宅と息子夫婦の家、

実母の家も流されたらしく、実母に関しては津波によって

命を奪われてしまったのだという。

家をなくし母親が死んで国から支給されたのが保証金250万円。

中古の軽自動車をやっとの思いで買い、

それで全額なくなってしまったと、言う。

その声は、僅かに震えていた。

堪え切れなくなったのか、

大の大人が鼻をすすりポロポロと涙を流した。

静まり返った女川の丘の上で、

ただただパチッ、パチパチパチッという

炭が焼け行く音だけが響き渡った。

自分を生み育ててくれた親が死んで250万円。

人の命とはいったい何であるのか。

それは金額が足らないとか、間違いなくお金の問題ではなく、

もっともっと尊いものであるはずで、

かと言って何をしたところで今更生き返るようなものでもないことも

わかってはいるが、言葉で言い表せないような

世の無情に腹の底から込み上げるような腹立たしさを禁じ得なかった

のと同時に、日常に転がる当たり前の幸せを失うということの

計り知れぬ悲しみと辛さが胸に深く突き刺さった。

翌朝起きると、今回の任務は完了したということで、

朝食後に片付けるを済ませると

ご褒美のスケートボードを少し楽しんだ後、

早めに湘南へ戻ることに。

何かに対する未練なのかはわからないが、

出発する前に女川の丘からじっくりと景色を見渡してみた。

4.7にここで地震を喰らった際に起こった凄まじい地割れの跡。

そして、津波に破壊されたままの小さな漁村の数々。

4月の復興支援活動の際にも走り抜けた石巻の町。

当初に比べれば多少は片付いてはいたが、

ガレキの山、スクラップ待ちの車の残骸と、

まだまだその傷痕は深く、

それはまるで多くの人たちの悲しみの山であるかのようだった。

昨晩の白髪の男性との出会い。

一期一会の人生のなかで、

またしても生涯忘れることのできない貴重で強烈な体験を、

あの女川の丘で経験することとなった。

次回の復興活動では何が待ち受けているのか。

とにかく、まだまだ東北の復興は遠く、

そしてひとりでも多くの助けを必要としていることだけは

紛れもない真実である。

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ