Photos & Interview by colorsmagyoge. Text by Jun Takahashi.

Special Thanks : SEA SONG.

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2016 JPSA WOMENS Grand Champion Minori Kawai.

 

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弱冠15歳(現在は12/14に誕生日を迎え16歳)にして

見事2016年グランドチャンプに輝いた注目の若手プロサーファー川合美乃里。

「やってる本人がその環境でしたいって望むんだったら、親としたら協力してあげないといけないって思って」

四国の中でもなかなか波の立たない徳島市内から生見海岸まで毎週通い詰める中、

現在は千葉に拠点を置き、ぐんぐん成長していく娘の夢を

家族一丸となってサポートし続ける川合家流の取り組み方にも迫る

colorsmagスペシャルインタビュー、グランドチャンプ川合美乃里をお届け!!

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C:2016年グランドチャンプ獲得、おめでとうござます。

ミノリ:ありがとうございます。

父:ありがとうございます!

C:どうですか?今年1年振り返って?

ミノリ:今年1年は正直、グランドチャンピオンを穫れないかなと思ってました。去年は2番で正直、それと一緒かそれより下かなと思ってました。バリもあんまり調子良くなかったし、そこからずっと負けてたから。中盤からちょこちょこファイナルには行くようにはなって、新島では絶対優勝しないとダメって思ってたけど勝てなかった。でも茨城で優勝したら一気にカレントリーダーになって『行けるかも?』って思ってたら来ちゃった感じです。

C:後半戦がバーンって伸びた感じだよね。どう?グランドチャンピオンになった今の感想は?

ミノリ:まだあんまり実感ないけど、日本一っていうのは嬉しいですね(笑)

C:そうだよね。ところでサーフィンを始めたきっかけはなんだったの?

ミノリ:お父さんがもともと大阪の人なんですけど、プロサーファーを目指して、サーフィンするために徳島に引っ越して。で、ミノリは徳島で産まれて。子どもの頃から毎日お父さんのサーフィンを見ていて、お母さんと。そしたらお母さんもいきなり、『サーフィンしようかな』って言い始めて。ひとりで浜辺で待つのが嫌だったから、まだ小さかったし。だからその勢いで、『私もやる!』って始めました。

C:それは何歳のときですか?

ミノリ:6歳、小学校入る前でした。でもちゃんとやりだしたのは、小学校2年生。最初は遊びで、ちょろ~っとって感じです。スケボーも2年生くらいからはじめました。

母:サーフィンし始めて、小学校2年生からひとりでやっとパドルできるようになって、ちょっと小さい大会とか出て、負けたりとかして。その頃です。

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ミノリ:夜とか陸トレでちょっと斜めの坂でスムーススターをやるようになって、次にランページに変わって。

母:徳島市内ではサーフィンの練習が毎日できなかったんです。『平日にサーフィンの練習ができるには』って考えてたら、サーフショップのオーナーが鳴門の方でボウルもあるスケボーのお店もやってたから、そこにおいでって言ってくれて。

C:スケートボードでのイメトレは効果的だと思いますか?

ミノリ:やっててよかったなって思ってる。和歌山県にスパインとかボウルとのめっちゃでっかいのがあって。開店そうそう11時から夜の20時閉店まで延々滑らされて。それ1週間毎日続けさせられたりしてました。

母:(笑)

C:もちろんお父さんもスケボーやるんですか?

ミノリ:やらない、見てました。ブラントとか練習しててコケまくってできないのを延々と怒られ続けて超いやだった。でもやっとできたときは嬉しかった(笑)

C:スケートボードやっていることでどんな風にサーフィンにプラスになりましたか?

ミノリ:スケボーも攻めるから、まだ海の方がコケても痛くないしっていうのがある。だから攻めれるのかなって思う。

C:スケートボードで大きな怪我とかしたことありますか?

ミノリ:大きな怪我はないです。めっちゃ打ちまくったくらい(笑)。歩けないくらい。同じところばっかりコケてたから(笑)

母:でも、骨折とかはなかったです。

C:今もスケートボードのイメトレはやるんですか?

ミノリ:やりたいけど、もし怪我をしたらってことを考えたらスムーススターくらいで。多分普通には滑れると思うけど、ブラントとかは絶対できない(笑)『スケボーで怪我しました』なんて言ったら『本職プロサーファーやろ!』って言われそうやし(笑)

C:多分このインタビュー聞いてスケボーで練習する子も出てくると思うんだけど、そういう子たちにアドバイスをお願いします。

ミノリ:普通のスケボーもいいと思うけど、やっぱりサーフィンしてる子はスイング式のスムーススターやウッディープレスとかで練習したらいいかなと思う。怪我もしないし、軽くライン取りができたらいいんじゃないかなと思います。

 

C:いつからコンテストは出始めましたか?

ミノリ:中学校2年生の夏。8歳のときに、いきなり『ショップの試合あるから出ろ』ってお父さんに言われて。でもルールも全然わからんし、何をしたらいいかもわからんかったから、すぐインターフェアしちゃったっていうのは覚えてる(笑)。負けたっていうのもわからんくらいのレベルやった。

母:面白い話しで、小学校3年生の頃かな?本当にちっちゃいショップの大会だったんですけど、安室丈くんと同じクラスで戦ったことがあるんです。それでミノリがたまたま勝っちゃって。丈はそのことを覚えてて(笑)。つい最近、丈にそのことを言われて(笑)

ミノリ:私は覚えてないんですよ(笑)。その頃、いろんな試合のプッシュクラスとキッズクラスにいっぱい出てたので。でも結構未だに安室丈くんに言われるんです(笑)、『オレ負けたから、オレ負けたから』って(笑)。『そんな気にすることじゃないで、ミノリに負けたなんて思わんとってくれる?』って思って(笑)

母:その時の安室丈くんはまだはじめたばかりだったけど、今はもうめっちゃ上手くなってるのに(笑)

C:当時、コンテストに出始めたきっかけは?

父:そのときってスーパーキッズが流行ったんですよね。四国というくくりで野呂海利、橋本恋、西三兄弟、飯田航太、小山みなみたちがいたスーパーキッズっていうのがあって、オニールのプッシュクラスが引き金になりました。で、『いつかはあの子たちと同じようになりたいよね』って思いながらも、いつも週末になったら市内から向こうに行って、みんなで一緒に練習してました。

僕がサーフィンしている時にミノリもしたい時は、その子たちが入っている中、僕がミノリをしてあげたりして。まだ『右見てね』って言っても右がどっちかわからないくらいの頃(笑)。そのとき西優司くんはプッシュクラスでもう出てたんですよ。プッシュだけどリップしてたよね(笑)。プッシュなのにチューブ抜けたり(笑)。そういうのを目の当たりにしてて、『僕たちもあそこに行きたいな』って。だからミノリは遊園地にも行かず、動物園にも行かず、毎週ずっと海に行って。たまには『じゃあ、イルカを見せてあげるよ』って、海でイルカと泳げるところがあるんですよ、高知にね。でも結局また海の中にいるって(笑)。そういうふうにさせながらずっと海での生活をしてたね。

C:なるほど。じゃあべつに初めからプロにさせようとかではなかったんですか?

父:ただいつかはあの子たちみたいになりたいってずっとやってました。あの子たちが練習で1時間に10本、20本乗りました、でも、ミノリは乗れないから離れて練習してたんですよ。それを見ていた冷花ちゃんのお母さんは、『一緒にしなくちゃいつになってもミノリは上手くならないよ』って言ってくれて。この子たちが乗ったら、3本目、4本目のライディングが終わったら、そのあとの波に乗るとか一緒にしなくちゃダメだって。そんなのを教えてくれた。その結果ですね。

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Kawai Family.

 

C:川合美乃里プロにとって四国という場所は当時の環境も含めてどういうところでしたか?

ミノリ:最初の頃いつも練習して、初めての試合も経験したのが生見で、波も穏やかやったから、小さいときも楽かったかなって。上手い子たちがいっぱいいて、だから自分も上手くなれたかなっていうのもある。

C:はじめた当初、影響を受けたサーファーとかは?

ミノリ:えー、野呂玲花ちゃん。女の子の中で玲花ちゃんが輝いてたから、『すごいな~』って思ってた。

C:プロになったのは何歳ですか?

ミノリ:13歳。2年前です。その頃はまだNSAを回ってたんですけど。前の年まで(田代)凪沙ちゃん、(黒川)日菜子ちゃんとか超上手い子たちがいて、2番にはなるんですけど絶対優勝はさせてくれなくて。そのふたりが譲ってくれなかった。いつもファイナルは日菜子ちゃん、凪沙ちゃん、ミノリ、小山みなみちゃんというそのメンバーばっかりで。『あ~また4番、あ~2番だった、優勝できんかったぁ』ということがいっぱいあリました。じゃあ今年は凪沙ちゃんもいないしと思って『ミノリきた!』って思ったら、級別で1コケしちゃったし、ジュニアオープン2番になって優勝できなかったとか。で、『全日本は絶対優勝する!』と思ったらクォーターファイナルで負けて。その試合の前に田原でJPSAプロの公認は得たけど、まだ保留ししてて、もちろん(NSAグラチャン)仙台出てから来年回ろうと思ってたけど、全日本あっけなく負けちゃって。そしたら、そのときにパパが(全日本に)負けた瞬間に『プロ転向しよう!』って言って、ミノリとママは『え!?』ってなって。最後の仙台の試合に優勝すれば、NSAのグランドチャンピオンも穫れたのに、でもプロになることにした。そしたら残りのJPSA、台風で延期になってた田原の試合で4番になって、茨城と鴨川の試合はボロ負けでした。でも最終戦の鴨川では2番になってセカンドシードにも入れたから、『結果オーライや!よかった!』ってなりました

父:賞金も貰えてね。

ミノリ:そう、すごい嬉しかった。

C :13歳でプロサーファーになってるんだ。

ミノリ:うん。ファイナルも2回いったし。

YG :すごいね。

ミノリ:予想外だった。2番になれたっていうのも。

C:プロの世界はどう?

ミノリ:アマチュアの試合って、お母さんとか、親とかも来るし試合前までバーってしゃべってるけど、プロサーファーのJPSAの試合になるとスパーンって感じで、もうまったくチャラチャラしない。『プロ』っていうのがどういうことかわかった。『あ、全然違うんやな』っていうのはめっちゃ実感した。負けてもヒートが終わった瞬間に切り替えて、『おめでとう、次頑張ってね。私の分まで』って。アマチュアの時は勝った時の周りの目線もキツかった。でも、年齢が上っていうのもあるかもしれないけど、人としてすごいと思って。ひがみがないっていうか。リスペクトしてくれる感じがして。

母:こんな年下のヤツに負けたらかなり悔しいと思うんですよ。それなのに、すごいいい人たちに囲まれたなって、プロに入った瞬間。周りの人たちに気持ち的に助けられてるっていうか。

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Minori Kawai.

 

ミノリ:プロサーファーになってよかったなって。2年目になって特に思った。去年ルーキー穫ったっていうのもあるから、いろんな人が話しかけてくれるし、やっぱ田中英義くんともこんな仲良くなったのも今年くらいやから。田中樹さんにもコーチングしてもらうようになったのも今年の試合から。『ミノリってめっちゃいい環境におるんやなぁ』って思った。憧れの人たちやったからね、ミノリからしたら。大原洋人くんとか仲村拓久未くんとか田中英義くんにしろ田中樹さんにしろ、もう、小学校のころから回ってたビラボンの試合とか来るじゃないですか、みんな。海に入ってただけで、『あ、英義くんっていう人や!』って、芸能人見るより嬉しくて。『あ、拓久未くんだ。おはようって言ってくれた!』って思うだけでもめっちゃ嬉しくて、ミノリは。なのにその人たちと一緒に、いましゃべってるっていうのが、すごいなって思って。それはびっくりした。っていうかツンツンしてない。えらそうじゃない。

母:器が大きいというか、『さすがだなぁ。こういう人になって欲しい』って思いました。

父:最初はプロになるのに結構反対もあったんですよ。

ミノリ:『なんで全日本優勝しないのにプロサーファーになるの?』って。『もうちょっと優勝してからの方がいいんじゃない』とか。『行っても勝てないよ』って。『無理無理、ルーキーどうすんの?』とか。

母:簡単じゃないって。

父:全日本負けた瞬間、友だちの家族でサーフスケーターズとかも出てる村田さんとかとお食事会をしてて、『負けちゃったよ、どうしよう?(プロ転向に)行こうと思うけど』『行った方がいいよ!』って村田さんは言ってくれたりして。『オレやっぱり行くよ!』って、ママとミノリは『何言ってんの?』ってキレて(笑)。で、そうしたら試合はミノリが言ったようにトントンと勝てて、サポートしてくれてる皆さまのお陰で結果上手くいったんですけどね。

C:で、その翌年はルーキーオブザイヤー穫ったんですか?

ミノリ:穫った。セカンドシードから出れたから。

父:で、2番。ルーキーで2番だった。

父:でも凪ちゃんが2年連続でグランドチャンピオン穫っちゃって。

ミノリ:ほんまやったら去年の成績やったら断トツでミノリがグラチャンいけてた。2回優勝してたから。

C:何でダメだったんですか?

ミノリ:凪ちゃん、3戦優勝しちゃったもん。茨城、志田、新島。連続でやられちゃって、これは無理だと思った。

父:で、それを経て今年ミノリが、奈央ちゃんの怪我があり、伊良湖の大会ではJPSAとWSLのコラボだったけどアマチュア勢が勝っちゃって、プロが高い点数を穫っていけず、結局ミノリが必然的にね。

ミノリ:大洗の優勝が決め手になったなって。しかも大洗はエミリーとやったもんな。

母:そこでエミリーが勝ってたらグランドチャンプは逆にエミリーちゃんだった。

カットバックライダー川合美乃里(15歳) JPSAでの満点ライド。 from CBSB on Vimeo.

10pt Ride by Minori Kawai in Ibaragi Surfing Classic.
 

C:試合のために特別な練習とかありますか?

母:ミノリン試合下手なんだよね。

ミノリ:尋常じゃないくらい下手なんで……。

父:最近はミノリも(田中)英義くんと入ってるときはフリーサーフィン中に2人でマンオンマンとかやってます。

ミノリ:でも、乗ってもないのに勝手に『プライオリティ、オレ』とか言われるし(笑)。

父:でもそれは本当に助かるよね。英義くんが横についてるっていうのは。

ミノリ:次の日9.5出せたし。今年はいろんな人に助けられた。

C:なんで千葉に引っ越そうと思ったんですか?

父:それはね、去年SMACの植田さんが、8月9月に太東の田中英義さんのお父さんがやってる不動産屋さんの隣りの部屋を借りてくれたんですよ。

ミノリ:全日本があったじゃないですか。

母:ライダーが部屋を使えるように一部屋借りてくれて。

ミノリ:で、1ヶ月なんとかしのげたんやな。

母:8月~9月ってJPSAの試合が毎週末あって徳島~千葉、徳島~伊良湖、徳島~大洗って往復ができないから、そこを借りてくれてるから、そこを拠点に移動しさせていただこうということになって、ミノリとパパが千葉に2ヶ月間いたんですよ。で、そのときに『毎日波がある。しかもいい波だ。ここしかない!』って突然決めて電話掛かってきて(笑)」

ミノリ:まじビビった(笑)。

母:『引っ越しするか』って言われて。

父:その時ママは仕事もしてるし徳島にいたんです。

ミノリ:『ここに住もうかー。ここめっちゃ波ええなー』って言って。で、パーってママに電話して、『マジで言ってる!?』って(笑)。ほんまに秒で決めちゃって、『大丈夫かぁ?』って思った。

C:で、もうパパのひとことで仕事も全部、徳島の辞めてこっち来たって感じですか?

母:そう。

父:好きな仕事を5年間くらいずっとしてたのに、『今やらなくちゃいつやるんだ』って。こんな映画みたいなことじゃないけども(笑)、二十歳の子がやってるみたいやなって。

母:私がミノリに、『ミノリはどうしたい?』って聞いたんです。そしたら『千葉に引っ越ししたい』って。『波がいいし、毎日練習できるから』っていうのを聞いて、じゃあ仕方ないなって(笑)。『どっちでもいいよ』って言ったら私は引っ越しを賛成しなかったと思うんですよ。『地元でやろう』って言ってたと思うけど、やってる本人がその環境でしたいって望むんだったら、親としたら協力してあげないといけないって思って。不安でしたよ、全然知らない土地だし、右も左もわかんないし(笑)、どこが波がいいのか誰に聞いたらいいんだろうとか(笑)」

父:店はここだから、トレーニングはここだから、ガソリンスタンドはここだからって、あとはやっておいてってママとミノリを置いてって(笑)。僕は川崎で仕事してたから楽なんですよね。月から金まで寮にひとりでおって、週末が来たらテンション上がって『おい、行くぞ!』って朝から(笑)。このふたりは月曜から金曜までやりきってるから(笑)。自分は、土日で人がいっぱいいても『ここでやろうか!』なんて(笑)。

ミノリ:でもみんなに、『なんで?なんで千葉に引っ越すの?』って言われた。

C:四国の人たちに?

ミノリ:いや、こっちの人たちに『四国波あるじゃん』って。でもみんなが思ってるようにはなくて。生見はあっても、ミノリは生見に住んでるわけじゃないし、2時間掛かるし……。『海部あるじゃん』って言われても、コンスタントではないし。『なんで、四国でも試合回れんじゃん』って言われるけど、『遠征費ないし……』って思って」

父:やっぱし移動する時間がもう」

ミノリ:全部関東やん、試合。『逆の立場になってくれよ』と思った。

母:毎週四国に来れるのかな?って(笑)。10時間掛けて。

ミノリ:『学校どうしてるの?学校優先だよ』とかも言われるけど、今やらなサーフィンできへんし、学校はもちろん行ってる。別に学校行きたくないからっていうわけじゃないのにそういうふうにも言われるから、『そんな言われても……』って感じだった。でも結果オーライ!(笑)チャンピオン穫れたから。今となってはみんな、『千葉に引っ越してよかったね』って言ってくれた。

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Minori Kawai.

 

C:家族で取り組んできて、今まで辛かったことってなんですか?

ミノリ:ミノリはやっぱNSAのときも超辛かったけど……JPSAに転向する前に、その前の年全部の試合ファイナル行ったんですよ。1コケはもちろん、セミでも負けてもないシーズンがあって、負け知らずでAAは全部優勝できた。でもNSAの四大大会だけは絶対優勝できんくて。それが悔しくて辛かった。

父:級別、全日本、ジュニアオープン、グラチャン全部ダメで、ノンタイトルですよ。

ミノリ:で、次の年はあっけなくボロ負けしちゃうし。でも“最後終わりよかったからすべてよし”って感じだったから、それはそんな悔しくなかったけど、あと今年の前半は悔しかった。バリ負けたでしょ、QS1000も負けて、ジュニアオープン、伊良湖も負けたし。ジュニアオープン、アマチュアじゃないですかしかも。アメリカのチケットなのにスキップして、ISA掛かってるっていうのにあっけなく負けちゃって。その瞬間に『まじサーフィン辞めようかな。何しに来てんやろう?』って、『こんなに勝たれへんのに、やってる意味ないし』って思って。毎日頑張って練習で入ってる志田なのに、あんなどクローズした海ひとりで入ってても負けたし、『ありえへん』って思って。『あぁもうどうして?こんなに練習してるのに、こっちは。なんで朝一入ってないような子に負けなあかんの』と思った。そのときは結構辛かった。『また負けた、また負けた、くそー!』って感じだった。『サーフィン辞めたい』って思って、やってる意味がわかんなくなった感じだった、その瞬間は。そのくらいかな。

父:僕も一緒ですね。こっちに拠点を移して4月から朝夕トレーニングしつつママとミノリがサポートされて生活してるのにも関わらずISA参戦穫れなくって。僕は、『今やってることは間違っていないし、勝つとか負けるのは時の運って言うのも変だけど、リズムがあるしと思って。今やってるトレーニングを、これさえきっちりやってれば絶対結果は出てくるから』って言って。ミノリは泣きながら『なんで千葉まで来たのに勝たれへんの』って言い始めて(笑)

ミノリ:あれだけ毎日サーフィンしてるのに。

父:『どうしたらいい?もうこれ以上できないよ!質を上げるの?』って、だから『今やってることは間違いないから、しっかりちゃんと結果が出てくるよ』って言ったのが5月~6月だったね。で、それで白浜のときに2番になれたんだよね。それで家族が『あぁ、よかったな』って(笑)。優勝はできなかったんですよ、奈央ちゃんが優勝して。でも3番で終わる、4番で終わるもいいんだけれど、『2番、準優勝だって。優勝がついたよ(笑)』って。あれはなんかホッとしたな。

ミノリ:そのまま勝てないかと思ってたもん。

父:それが一番ホッとしたね。

母:何かな一番辛かったこと(笑)……あれかな、ミノリが小さいときにすごい厳しくてお父さんが。

ミノリ:そうや、本当あったわ(笑)、まだもっとあったわ(笑)。

母:練習中、波に乗れなくて、ビデオカメラ回してるのに。2時間で何本しか乗ってないとか、段々撮りながらイライラしてしてるのが横にいながら伝わってきて。しまいに『ミノリ上がってこい!』って言って殴ったり、浜でみんな見てるのに大声で怒鳴ったり。そういう怒られて泣いて頑張ってるのにっていうそれを見るのが辛かったかな(笑)。

C:お母さん、超リアルですね(笑)

母:かばってあげることができなかったんです、『まぁまぁまぁ』みたいに。怒られて泣いてるのをひたすら見てるしかできない自分が……。

ミノリ:それだ、それが一番辛いわ。

父:それが一番かな(照笑)。

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Minori’s Papa.

 

ミノリ:乗れないときってあるじゃないですか?必死に探しても『来た!』と思ったら乗られちゃったり。『あぁ~』って自分自身もイライラしてるのに、もう笛でピーピー鳴らされて『あっち行け!こっち行け!』言われて、『ほっといてくれー』って感じで、ミノリからしたら(笑)」

父:(笑)

ミノリ:乗れんくて、言われることは確実に何かわかってるのに、それに対していちいち上がらされるのは『もう、言うことわかってるんやからほっといて!』って感じ、ミノリからしたら。

母:技がどうとかいう怒られ方じゃないんですよ、波に乗らないことだから。

ミノリ:いままでミノリが怒られたのは、技で怒られたことはなくて『波に乗れ!』しかなくて。

母:週末の芋洗い状態の海で乗れないっていう、そういう状況ですら怒られる(笑)

ミノリ:朝一サーフィンするじゃないですか。もう車乗った瞬間にどつかれて。そのあと家の廊下通って歩いてたら、ドアに新聞紙刺さってるんですけど、それをバンって取ってバチコーンって叩かれて。『えぇ、マジかよ……』みたいな(笑)。乗れなかっただけでそれだけの仕打ちを受けて。

父&母:(笑)

ミノリ:べつに『好きで乗ってないわけじゃないねんけどなぁ』って思って。

母:何人かコーチングを受けたときに、コーチって腰の使い方だとか、身体の体重移動とか教えてくれるんですけど、まず私は『どうやったら波を見る目ができますか?」ってそれを聞いてたんですよ(笑)、すべてのコーチに。パパに怒られないように聞いとかなとって思って(笑)。『そのうち乗れるようになれますよ』ってみんなに言われたんですけど(笑)。試合でも15分ヒートで1本しか乗れなかったりとかな。

ミノリ:ノーライドのときもありましたもん。

母:それでまた怒られたりとか(笑)

父:(笑)

ミノリ:(一番辛かったのは)しばかれたっていうことかな。

父:(笑)愛の鞭ですよ。

ミノリ:そうですね(笑)

C:じゃあ、これからの目標は?

ミノリ:来年?

C:何年後でも。

ミノリ:うーん、どっちやろ……CT入りはもちろんしたいけど、東京オリンピックが決まったからそれにも出たい。リオオリンピックを見ててカッコいいなって思った。けどひとりしか出れないみたいやから。正直どっちを優先して回ればいいのかがわからない。日本の試合を優先して、日本で活躍してるから、『じゃあオリンピック選手に選ぼう』ってなるのかどうなのか。でもいまQS回らないともう年齢も年齢になってくるからCT入りも難しくなってくるし、どうすればいいのかなって感じ……。ひとつのことに対して集中できない、ふたつの目標ができちゃったから。QS回ればいいんやと思うけど、でももし日本の試合勝てなくて、海外の試合も勝てなかったら、オリンピックも出れないし、QSも何しに行ったんかなって感じやから。『どうすればいいんだろう?』って感じ。目標がイマイチ……でも将来はCT入りたい。来年は……わかんない」

C:ありがとうございます。これからも応援してます!

ミノリ、父&母:ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ