Photos & Interview by colorsmagyoge. Text by Jun Takahashi.

Special Thanks 44Miles.

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2016 JPSA Grand Champ, Arashi Kato.

 

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23歳にして2016年グランドチャンプを獲得した加藤嵐。

海のない東京に生まれ、幼い頃に父の影響でサーフィンに触れて以来サーフィン中心の生活を送るべく千葉へと拠点を移し、常勝のボーイズ、ジュニア時代を経てプロサーファーとしても当たり前のように日本一の座を獲得したその背景に迫る!

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C:おめでとうございます。

嵐:ありがとうございます。

C:感想は?

嵐:いやぁ~、手応えないです。正直な所、まぁそうですね。自分のアベレージが高かったから今回グランドチャンピオンを穫れたんだと思います。

C:シーズン始まる前からグラチャンを狙ってましたか?

嵐:いや、自分が今回の志田(最終戦)のR8で負けるまで、グランドチャンピオンってことに対して考えたことなかったです。

C:でも茨城くらいから可能性でてきてましたよね?

嵐:そうですね、その頃には結構もう濃厚だったんですけど、まだ全然出てない強い選手もいたし後半も長かったんで、そんなに意識するというよりは『1位なんだな』くらいの感じで。とくに『絶対穫りたい』とかは思ってなかったです。

C:今年1年振り返ってみてどうですか。

嵐:長かったすね、後半が。本当は志田のQS6000のときにいい成績を出して、QSの方をメインで回る予定でいたんですけど1コケしちゃって……。そのあとの湘南オープンも1コケして。じゃあ、とりあえず今年は、もうその……今から焦っても仕方ないし、だったらちゃんと自分のサーフィン見つめ直して、変えるところを変えて、来年に向けて準備の年って言ったらおかしいですけど、自分のことを変えながらでも試合に出る年にしようって思いました。だから『結果を出す。絶対優勝』とかよりは、自分の求めているサーフィンに近づく内容の試合でやるようにというか、そういう練習方法だったり意識で試合を回ってました。

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Arashi Kato. @ Nijima.

 

C:来年はどういうつもりで1年を組み立てていく予定ですか?

嵐:2017年はほぼQS一本で自分は行きたいなっていう気持ちはあります。でも、志田でJPSAがあるんだったら出たいし、スポットで参戦できるところはするかもしれない。まだ深く決めてないですけど、世界メインでやってきたいなっていうのは自分が一番思ってることですね。

C:プロとして世界を意識し始めたのはいつからですか?

嵐:初めてオーストラリアにひとりで行ったのが12歳なんですよ、外人の家にホームステイして。その頃は日本のツアーがあることも知らなかったし、プロサーファーっていうものがあるのも知らないくらいで。でも小さいときからケリー・スレーターのサーフィンばっかり見てて、自然にケリーたちと戦ってみたいっていう思いが芽生えてきていて。で、たまたま志田の4スターでやったときのQSで合格ラインをクリアして、JPSAのプロになったんですよ。

C:何歳の時ですか?

嵐:16歳です。プロテストは受けたことないんです、JPSAで。その4スターでR16までいって、JPSAからプロ資格をもらいました。自分は日本でやりたい、世界でやりたいっていうよりは、上手くなるためにいろんなみんながやってるいいことだったり、いいトレーニングだったりっていうのを、自分がやりたいって思ったり興味があることはやってみて、合う合わないを自分で判断してっていうふうに『何でも経験してみようかな』っていう意識でいろんなことにトライしてみました。いろんなコーチングを受けてみたり、キャンプにいってみたり。

C:それはオーストラリアで?

嵐:そうオーストラリアで。アメリカは試合で行ってたくらいで、そんなにフリーでよく行ってたっていうわけではなです。オーストラリアにはいつも半年くらいいます。拠点、ベースって言ったらおかしいですけど、一番長くいるんで、そこでいろんなことがあって、いろんなひとがいる中で聞いてやってみたりしてましたね。

C:スランプの時期はありましたか?

嵐:一時期、4年間立て続けに怪我しちゃって。切り傷だったり捻挫だったり、靭帯だったりっていうのをやって。体の歪みが直ってないのに、サーフィンしたいからサーフィンしちゃって違うところを痛めるっていう、そういうのにハマってて……。『ただやりたい』とか『やらなきゃ』っていう焦りだけでやってた。でもその4年で考え方とかが変わった。一回、『サーフィン辞めようかな』って思った時期も正直あって。けど友だちとか、いろんなプロサーファー、読んだ本のいい影響だとか、それで自分がいいモチベーションを持ち始めたのが去年くらいで。それからサーフィンもハマってくるっていうか、アベレージが高くなってきた気がします。

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C:それはなんでサーフィン辞めたいって思ったのですか?

嵐:トレーニングを始めて3年目だったんですよ。それでも結果が出なくて。かなり辛いトレーニングなんで、やってるのに結果がでないことに対してちょっと嫌になって。で、まあその間に洋人がUSオープン優勝したりだとか、ワールドジュニアで3番になったりだとか、舜も出たり、いろんな若いのが出てきてる間に、自分が結果を出せてなかった。小さいときは出せてたけど、それを出せてない自分が、自分の中ですごい嫌で。で、それをよくよく考えたりして。辞めるのもいいけど、でも辞めたら終わりだから。いろんな人の話し聞いて、冷静になってもう一回考えたら、サーフィンをまた楽しくやりたいなって思えて。で、やり始めたら自分のちゃんと楽しいって思えるサーフィンに戻ってきてくれて、それで続けられるようにモチベーションがなった。

C:いまもトレーニングは続けてますか?

嵐:はい。やってます。トレーナーがオーストラリアにいるブラジル人です。最近はウェイト使わないトレーニングで、その辺の道でできるトレーニングばっかなんで、日本で別にジムとかには行ってないです。メニューをもらって。それを自分で毎日やってます。今自分のサーフィンを今年の半ばあたりから変えているんで、それがいい形で試合でも徐々に出てきたんだと思ってます。

C:どの辺を変えたのですか?

嵐:ライン的には一回ボトムに振るようにしたりだとか、技をもっと丁寧にやったりだとか、繋ぎの細かい部分を。ミック・ファニングとかのサーフィンを見てても、あからさまに体の動きが違うとか、簡単に見える部分の違いよりも、もっと細かく見ないと気付かない部分であの人たちはそこがすごいから。完璧に見えてない部分の、その極秘な技っていうか、やり方っていうのをトップのサーファーはみんな持ってるんですよ。そういうのを見てたら、いま勝つんだったら、それをやらなくても100番とかだったら入れるかもしれないけど、5年後だったりってやり続けることを考えたときに、今のサーフィンを求めていっても先がないなと思って。で、どうしたらより違うサーフィンになれるだとか、どうしたらより変われるかっていうのを考えて。そのときにF+の、つのだゆきさんに声かけてもらって。いま、ゆきさんにコーチしてもらってるんです。言い方はキツいですけど、日本人だったら誰よりもCTを目の前で見てる方だし、カメラも撮ってるし映像も見てるだろうから、言うことが的確で。自分が気付かない部分をすごい教えてくれたんですよ。一回話したときにそれでビックリして、この半年くらいコーチしてもらってるんですよ。例えばフリーサーフィンやってるときにゆきさんが見にきてくれたり、ビデオを一緒に見て、あーだこーだ言ってとか、ライブでインターネットで見ててくれてメッセージくれるとか。そういうやり取りをしてます。

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Arashi Kato.

 

C:そういったいろんなことが積み重なって今回のグラチャン獲得なんですね。

嵐:そうですね。自分以上に周りが喜んでくれてたのが嬉しかったですね。自分は『優勝できてない、でもグランドチャンピオンになれた』って思ってるけど、みんなは素直にグランドチャンピオンになれたことを喜んでくれているから。全員が黙るような、全部勝ってグラチャン穫るのが理想は理想だけれど、支えてきてくれたみんなが喜んでくれたし、それで自分も『穫れて本当によかったな』ってまた思えたから。すごい温かいですね、みんな」

C:子どもの頃から家族みんなでサーフィンに取り組んできてますが、加藤家流はどんな感じですか?

嵐:相当協力してくれますね。僕は東京で生まれたんですけど、3歳のときに横浜に引っ越して、海で遊んでるのはそれくらいから。そうして湘南だったり千葉だったりってへ通ってるときに、サーフィンを始めたっていうか、サーフボードを持って、ボディーボードみたいにして遊んでる時期があって。そこから自分が『本格的にサーフィンやりたい』って家族にお願いして、小学校6年生の頃に千葉に引っ越してもらったんですよ、家族全員で。

C:それまでは海に通っていたんですか?

嵐:その頃は全然、大して本気でサーフィンでやっていくとかはなかったんで、別にサーフィンするときもあれば、砂浜で遊んでるときもあれば泳いでるときもあるし。サーフィンでワーって、みんなが、小学生のお父さんお母さんが教えるような感じじゃなくて、全然『適当に道具使って遊びたかったら遊びな』みたいな感じな環境で。小6から本気でやり始めた。初めはまだ母親が免許を持ってなくて、初めの2年くらいは家から海まで2~3kmの距離を真冬でもずっとチャリで行き来してて。冬とかは寒いからサーフィンのグローブして、ヘッドキャップ被って自転車漕いで。そういう生活してて。2年くらいたったら母が免許取ってくれて、それから車で連れていってもらえるようになって。で、朝も夕方も毎日サーフィンして、母親が付いてきてくれているときは毎日ビデオ撮ってくれて。とにかくビデオ撮りを毎日やってくれました。

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C:選手にとってビデオチェックは大事ですよね。

嵐:そうですね。気持ちいいサーフィンと見栄えのいいサーフィンが全然違ったりするから。『いまのターンよかったかも』って見ても実際よくないターンも多いし、『よくないな』って思っても実際は見栄えがいいことの方が、結構多いなって自分は感じてるから。やっぱビデオがあると、安心しますよね。『この板こんな感じのフィーリングだけど見た目いいんだ』とか。そういうのはビデオがあるからこそ感じられますね」

:お母さんはサーフィンしますか?

嵐:やらないです。お父さんだけです。お母さん泳げないから、犬と砂浜で遊ぶくらいで。全然泳いだりはしないです。

C:よくオーストラリア行くようになったのは何歳の頃くらいですか?

嵐:16歳です。高校は通信に行って、そこから『オーストラリアベースにやっていこう』って思ってたんで。

C:オーストラリアでやっていこうって思ったのはどんなきっかけでしたか?

嵐:中学校2年生のときにホームステイした先が、向こうのジュニアのトップ5人くらいいた中のひとりの家だったんですよ。キラの丘の上にある友だちの家で。で、そいつと仲良くなってジュニア回ってたら、そのとき一緒に動いていたのが、ジャック・フリーストーンとかミッチー・クルーズとかトーマス・ウッドだったりとかで。強い選手みんなが『おう!』って来てくれる環境にいることができて。そこで名前を覚えてもらって一緒にサーフィンすることができて、試合何戦も一緒に回ったりとか、一緒にホテル泊まったりとかしてすごい楽しくて。やっぱ自分よりみんな上手いから。上手い選手と一緒にやるっていうのはプッシュされるからすごいいいことで。オーストラリアは上手い選手がとにかく多い。

C:今だに彼らとは繋がってますか?

嵐:はい。会場であえば『Yo!』って、オーストラリアに行ったら普通に家に遊びに行ったりとか。ミッチーとかジャックとかいまだにすごい仲良くしてくれてますね。オーストラリア人はみんなフレンドリーっていうか、1回会ったら忘れないでいてくれる。向こうから『ヘイ!嵐!!』みたいな感じで来てくれるから、その辺も自分の中では居やすいです。結構ツンとしてるヤツが多いのかなって思ったらそうでもなかったりとかで。

C:今シーズンもオーストラリアにいく予定ですか?

嵐:そうですね。来年はQSメインに回っていくんで。オーストラリアで初めにQS1000があるから、それから出てウォーミングアップして、試合感を取り戻したりをやっていこうかなって思って。来年初めはQSが多くあるオーストラリアにいることになると思います。

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Arashi Kato.

 

C:最終的な、プロサーファー・加藤嵐としての目標は?

嵐:最終的に……オレはですね、理想は自分がやれるところまでやったらきっぱり辞めて、そこから自分ができることを探したり、第一章としてきっぱり終わらせるって思っている部分もある。でもやっぱり海入るの楽しいし気持ちいいじゃないですか?サンセットもきれいだし。だから辞めれないのかなっていうのもあるし。楽しく、どんな結果であれ自分がいいと思ったことを貫いてやって、それで気持ちよく、サーフィンを嫌いにならないで死ねたらいいかなと思います。みんなとにかく上手いし、日本の選手も、海外の選手も。ここに入るとか、こうするとか言ってても実際にそんな簡単にはクリアできない。高い気持ちはもちろん大切だけど、それがずっと続くと、体が萎縮しちゃったりするから、根底には自分はサーフィンを楽しんで、スキルアップをしていく。ただ単に『キャー、楽しい』じゃなくても、プロならば、新しいことを練習する楽しさだったりとか、全然違う楽しさがいっぱいあると思うんで、そういうのを感じながらこの先もやっていけたらなって思います。

C:ありがとうございます。

嵐:ありがとうございます。

 

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yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ