Movie & Text by Kota Kumazawa.

 

2015年7月20日の早朝、猛烈な頭痛に襲われ目を覚ました久米大志。

一階にあるキッチンまで朦朧としながら駆け下り、冷凍庫からアイスパックを取り出して頭に巻きつけた。

激痛を超える痛みの頭痛に耐えきれなかった、まともに喋る事もままならない中、親を叩き起こした

「今すぐ病院に連れて行ってくれ」と言った所が最後の記憶だった。

気付けば茅ヶ崎市立病院の救急診察室の前で順番待ちをしていた。

色々な処置を受けたがMRIを取り終えたあと、自分の目から見える景色が一変していたのを覚えている。

ナース達が慌ただしく動きまわり始め、自分には話し声や内容が聞こえないように会話をしていたのがわかった。

母親と父親だけが先生に呼ばれ診察室に入った。 そこから出てきたアンビの姿、それを慰めるママをみて、自分の体の状態が”やばい”という事を確信した。

それから色々な検査を何日もかけて受け、その結果、手術を二ヶ月に渡り3回受ける事が決まった。

先生から言われた最初の一言は「大志くん、実は、この症状にあまり前例がないんだ。だから、大志くんの今回がこれからの前例になる。」 

手術の説明を受けている時、先生が口にした事を今でもはっきりと覚えている。

「今はプロサーファーとして活動しているんだよね? 我々医者は決して患者さんに隠し事をしてはいけないから正直に言うね。全ての手術を無事成功しても、またプロサーファーとして活動する事は難しいかもしれない。この手術、頭蓋骨を開けるんだ。手術後に後遺症として何が起こるかはその時まで分からないんだ。 場合によっては”全身痙攣”・”下半身不随”・”透析”・"記憶障害”などの可能性が考えられる。

そうなれば当然サーフィンをする事すら不可能だ。」

それを聞いた瞬間、カラダ全部の力が抜け崩れ落ちた。

「自分の人生、将来は終わった」

それしか考える事が出来なかった。

プロ資格獲得後2年目に降りかかった人生を揺るがすような災難を乗り越え、約2年の休養期間を経てのカムバックを果たす久米大志が、アメリカで過ごした2年間そして家族や友達、人生において大切なことや大事なことを病気を通し気付いたことを語る。

大志が倒れた時は筆者はアメリカに留学していた。

大志からアメリカへ行きたい旨を聞き、できることは全てやるつもりだった。

実際のところしてあげることができたことはほとんどなかった。

それでも筆者は、前向きに捉え考えて行動していた大志に何かできないかと考え、大志がお世話になった人に伝えたいこと。また、リスタートをきることができるのであれば、そのスタートを知らせること。それが筆者の出来ることではと考えました。

一回りもふた回りも成長した彼のRestartが、そしてただただサーフィンを愛してやまない彼の今後の活躍から目が離せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ