Interview&Text by Jun Takahashi Photo by Yasuma Miura Movie by Hajime Aoki Photo inside the movie by Hiroshi Sato, Tomomi Mizuguchi, Yasuma Miura
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海辺にあるブランドやサーフショップのコアな背景に迫る人気連載企画、「#BILLABONGCORE」。
第4回目は、多くの人々が
サーフィンのある暮らしを営む湘南・茅ヶ崎の老舗サーフショップ、「フリュードパワー・サーフクラフト」をご紹介。
モダンサーフィンの黎明期からハワイをはじめ、世界と日本を結び、半世紀以上に渡ってサーフカルチャーを育んできたオーナーの藤沢譲二さんの話をお届けしよう。
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<プロフィール>
ふじさわ・じょうじ/1950年生まれ。東京都立川市出身。15歳でハワイへ渡り、サーフィンに傾倒。同時期にレジェンドサーファーのランディ・ラリックと出会い、ともに世界のサーフシーンの最先端に身を置く。1975年、茅ヶ崎にサーフショップ「サーフバム(現フリュードパワー・サーフクラフト)」をオープン。オーナーとして現在に至る。プロサーファーとしての活動、ロングボードのプロ化、サーフィン雑誌の制作、キッズサーファーの育成などこれまでの功績は数知れず、サーフィンの健全な普及に尽力し続けている。
フリュードパワー・サーフクラフトとは?
ハワイにて最新のサーフィン、サーファーと触れ合ってきた藤沢譲二さんが、本物のサーフィンをより多くの人たちに向けて伝えるために営むサーフショップ。映画『ビッグウェンズデー』に登場することで有名なベアーサーフボードの日本総代理店も務める。
フリュードパワー・サーフクラフトのはじまり
ビラボン(以下B):ジョージさんのサーフィンのルーツはハワイにあるとお伺いしました。
藤沢譲二さん(以下F): 1965年に15歳でハワイへ行きました。現地に母親の姉、伯母さんがいたんです。東京の田舎で育って街でやんちゃばかりやっているから「お前はハワイに住みなさい」という感じで行かされて(笑)。そこでいとこがサーフィンをやっていて、アラモアナに連れていってもらいました。ロングボードしかない時代です。
B:1965年にハワイ……すごい歴史です。それでサーフィンの楽しさにハマったんですね。
F: はい。ロングボードはすぐに立てるじゃないですか。老若男女、誰でもできる。今世界中でサーフィンが流行っている理由はその楽しさが原点。それが根強く、時代に流されず、素晴らしい感じで育っているんじゃないですかね、サーフィンって。親から子へ、子から孫へと。いい感じですね(笑)
B:サーフショップを始めたのは、おいくつのときですか?
F:僕が25歳のときに始めたんですよ。だから今年で44年目かな。ハワイから茅ヶ崎に来て。きっかけは……何もできないしね、サーフィンしか(笑)。日本が好きだから海辺の街を探して、たまたま先輩が茅ヶ崎にいた。そこで千葉公平と一緒にサーフバムを立ち上げました。由来は、“サーフィン野郎”ですよね。サーフィンバカというか、サーフィンしかないという。
B:現在のフリュードパワー・サーフクラフトとは違う店名だったんですね。
F:そうなんです。でもアメリカで、サーフバムって「そのままじゃん」と言われて。だからいいじゃんと思ったんだけれど、聞こえが悪い。そこでフリュードパワー(流動体)・サーフクラフトとした。デザインはピラミッドパワーの中に、ハワイのヤシと波と太陽を入れてデザインしました。
1975年、オープン当初のサーフショップ前にて、友であり師匠であるランディ・ラリックさん(右)とジョージさん(左)の2ショット。ボードのディケールでわかるとおり、当時の名称は「サーフバム」だった。Photo: Courtesy of Fluid Power Surf Craft
サーフィンの動きや波をイメージした「Fluid Power(流体力)」と、サーフボード、そしてサーフィンそのものを手作りで日本に広めたいとの意味を込めて、「フリュードパワー・サーフクラフト」に店名を発展させた。Photo: Courtesy of Fluid Power Surf Craft
美しい店舗横の壁画に、ジョージさんがデザインしたというロゴマークが見える。茅ヶ崎に根付いて早40年以上。描かれている烏帽子岩やグッドウェイブと同じように、今やフリュードパワーは地域のシンボルと言える存在。
盟友、ランディ・ラリック
B:サーフレジェンドのランディ・ラリックさんとの馴れ初めを教えてください。
F:ランディさんに会ったのは彼が20歳で、僕が19歳のとき。1969年かな。僕はケワロベースというアラモアナの一番端っこのポイントでローカルたちとサーフィンをやっていた。ランディさんはその右側のポイントパニックという船の出入り口でサーフィンをしていた。そこはボディサーフィンしかできないようなポイント。当時はリーシュがなくて、波が岩に向かってチューブを巻くから、ボードを流すとすぐ壊しちゃう。聞いたら18本くらいダメにしたっていう。「すごいヤツがいる」と思って。上手いし。それで話をするようになりました。
B:サーフィンが上手なお兄さんという感じでしょうか?
F:ランディさんは僕の兄貴みたいな存在だし、師匠。サーフィンのプロの世界を作った人なんですよ。(現在のWSLの前身である)IPS、インターナショナル・プロフェッショナル・サーフィンという組織を作って、世界の国々で試合をやった。そのとき彼はすでに世界80~90カ国を周っていました。そして僕がお店をやるというときには最初から手伝ってくれたんです。
ジョージさん(右)はランディさん左)とともに、日本に本物のサーフィンを広めるために、日本初のサーフィン世界選手権を辻堂海岸で開催した。中央にいるのは当時のワールドチャンピオン、マーク・リチャーズ。Photo: Courtesy of Fluid Power Surf Craft
1978年に発足したJPSA(日本プロサーフィン連盟)のプロ一期生として活躍したジョージさん。A級認定プロ6名のうちのひとりというエリートだ。このスタイリッシュなアプローチを見ればその実力の程はわかるだろう。Photo: Hiroshi Sato
老舗のサーフショップとして伝えたいこと
B:サーフショップを始めるにあたって意識していたことは何でしょうか?
F:湘南で一番早いもの、日本で一番早いものをやろうと思った。身近にいるランディさんが世界中回ってサーキットをやっていて、ましてやシェイパーだから最新を知ってるわけだから。
B:今も変わらずに意識していることは?
F:一流のものを扱うということ。そのためには自分がいつも世界に出て、足並みを揃えていないと遅れるわけじゃないですか。自分が外に出たり、サーフィンをしていればそこに目を向けられる。だから、いくつになってもチャレンジャーでなくちゃいけない。
B: ビラボンについて思うことをお聞かせください。
F:やっぱり歴史は大事だよね。最初からやってきた人たちは、今いる洋服屋さんとは違う。サーファーが作っているから信用できる。それは間違いないですよ。仲間が集まって「何かできないか?これを作ってもらおう、こういう形で。もっと丈夫なやつでカッコ良くて、機能的で」って、そうして世界に発信している。すごいことだよ。街のトランクスと違って、海水パンツじゃないですから(笑)。“ボードショーツ”。あんな3本ステッチで切れないなんてものないからね。
B:ビラボンのキャッチフレーズ「ONLY A SURFER KNOWS THE FEELING」とはどんな感覚のことだと思いますか?
F:やっぱり、やってみればわかりますよね、それは。「何がいいのか?」って聞かれてもひと言ではね……。「じゃあ、一緒に海に行ってやりましょう!」っていうしかない(笑)。
B:サーファーだけが知るあの感覚……としか言えないですよね(笑)。ではサーフィンをはじめる人には、最初に何からお伝えしていますか?
F:海を綺麗にすることと、海に挨拶することと、そういうことです。第一歩は。海に対してのリスペクト。だから掃除したり、「ありがとう。お願いします」という思いを持つのは当たり前のことです。
店内にはシェイプルームが完備されている。ランディさんはもちろん、ビリー・ハミルトン、マイク・ディッフェンダーファー、マイク・ケーシーなど、ここでシェイプしたレジェンドシェイパーは枚挙にいとまがない。
ビラボンの最新ウェアもラインナップしているフリュードパワー。「サーフィンの素晴らしさを伝えていく。目指しているところが一緒じゃないですか」と、ビラボンとパートナーシップを結ぶ理由を話す。
B:最後になりますが、サーフィンいいところや大切なことは何だと思いますか?
F:サーフィンっていうのは、気取れないんだよ。そこがいい。上手い人が一番なの。子供でも自分より上手かったら、「お前上手いね、次行けよ!おじさんにも乗らせてよ」って(笑)。サーフィンは上手い人が一番だと思いますよ。でもグランドに降りたら大切なのはリスペクト。その土地で、長年サーフィンに携わった人たちをリスペクトしていけば、ほかの世界に出ていっても間違いは起きないと思う。街々で大事にしていかなきゃいけないのは、サーフィンをするんだったら、歴史から入ってください。そういうところですね。
20年以上の長きに渡って店長を務めるプロロングボーダーの牧野琢滋さんと一緒に笑顔を交わすジョージさん。「お店が明るくて、一見さんやおじいさんや子どもでも中に入ってきて見られる方がいい」と話す。
波があればジョージさんの姿は必ず海の中にある。サーフィンの楽しさを伝え続けるためには、自身も常に海にいてフレッシュでいる必要があるという。サーフィンを愛してやまない気持ちは、15歳の頃から変わらない。Photo: Koji Tamura
「海辺は気持ちいいですよね。毎日表情が違うじゃないですか。水と空と」サーフィンをするに当たって、フィールドである海をリスペクトすることが第一歩だというジョージさん。これからもサーフィンを広く伝え続けていく。
茅ヶ崎には驚くほどキッズサーファーが多い。ジョージさんは1995年から継続して子どもサーフィンスクールを開催している。「サーフィンを日本に根付かせる」という思いで取り組んできた活動が、今こうして実を結んでいる。Photo: Kenji Sahara
<おわり>
SHOP INFORMATION
ショップインフォメーション
Fluid Power Surf Craft
フリュードパワー・サーフクラフト
明るくオープンな雰囲気ながらも本格的なサーフボードからギア、ウェアまで豊富な品揃えを誇るショップは、茅ヶ崎の海岸から徒歩数分という抜群の立地にある。サーフボードに関しては「ベアーサーフボード」、オープン時からのオリジナルブランド「サーフバム」を取り扱い、ランディ・ラリック、マイク・ケーシー、鈴木弘ら熟練のシェイパーたちに、あらゆる種類のサーフボードをカスタムオーダー可能だ。またJPSAロングボード公認プロサーファーである牧野琢滋さんによるサーフレッスンは初心者から上級者まで対応してくれて、とてもわかりやすいと大評判。牧野さんはISA公認SUPインストラクターの資格を持つためSUPのレッスンも受け付けている。レジェンドサーファー、藤沢譲二さんによる「マスターオブサーフカルチャー」というプライベートレッスンでは、サーフィンの技術のみならず、世界や日本のサーフィンの歴史、サーフィンの本質までをじっくりと伝えてもらえるという、ほかではありえないスペシャルな体験もできるプロショップだ。
ADDRESS: 〒253-0054 神奈川県茅ヶ崎市東海岸南1-21-1
TEL: 0467-86-6944
WEB: http://fluidpower.jp
What is「#BILLABONGCORE」? / ビラボンコアとは?
ビラボンは、1973年に創始者であるゴードン・マーチャントがつくり出した良質なボードショーツが、ローカルサーフショップから全世界へ広まっていったのが始まりです。グローバルブランドへと成長を遂げた今も、「Only a surfer knows the feeling(サーファーだけが知るあの感覚)」というフレーズとともに、サーフィンを愛するシンプルなスピリットをもっとも大切にしていることは変わりません。流行の移り変わりが早いこの時代だからこそ、サーフカルチャーを育み続けている、海辺のボードメーカーやサーフショップの背景にある“歴史”という揺るぎない価値、核(コア)を見つめ直し、改めてその魅力を伝えるべく生まれたコンテンツが「#BILLABONGCORE」です。サーファーたちのユニークな伝統を紡いでいくことは、世界のサーフシーンを長きに渡り支えているビラボンの役割であると考えています。