Photos & Text by colorsmagyoge.

 

台風10号のグランドスウェルによる稲村ヶ崎でのスーパーセッションを終えた翌日となる9/6(日)。

この日は若干サイズアップした状態で朝を迎えつつも、かなりサイズアップするという前日の予報からすると少しアレ?といった感じのコンディションとなった。

この日も稲村ヶ崎をチェック。

素晴らしいコンディションであったが、どうしてももうひとつのビッグウェイブコンテスト”洋之介メモリアルカップ”の会場であるYono Peakが気になって仕方なかったので、カットバックしてチェックに向かう。

Yono Peakに到着すると、波は時折入るセットでダブルオーバー。

 

沖にはすでに数名のサーファーがパドルアウトしている中、今年はコロナで開催不可となっているビッグウェイブコンテストの来たる開催に備え、ライフガード用のジェットスキーも2台見えた。

「それじゃあ行ってくるよ!」

と、ちょうどサーフボードを片手に、ここのポイントに対する思入れは半端ではないプロサーファー中村竜が、友人であろうひとりの白人のサーファーの方と一緒に海へ向かっていった。

なんとこの中村竜がこの日連れていた見知らぬ白人のサーファーこそ、スピアフィッシング界ではその名を知らない者はいないほど有名な、サーフィン界でいうKelly Slaterのようなキング的存在であるBrandon Wahlersに他ならなかった。

カリフォルニア出身のBrandon Wahlersは、マーヴェリックス、トドス・サントスといった世界の名だたるビッグウェイブスポットの波をライドすることができる筋金入りのビッグウェイバーとしての一面を持つ男で、Mark Healey、Koa Rothman、Jawsのビッグウェイブ・チャンピオンであるBilly Kemperといったサーフィン界で超著名なビッグウェイバーたちからもリスペクトされるほどの存在。

現時点でNorthan Yellow Tail(ブリやハマチ、ヒラマサなど)、Yellow Fin Tuna(キハダマグロ)、Spotted Cabrilla(ハタ科のいくつかの食用魚の総称で特に地中海や西部大西洋などの暖海域などものを指す)といった3種類の魚において、スピアフィッシングで一番大きな魚を捕獲したワールドレコードの持ち主である。

http://www.iusarecords.com/ViewRecord.aspx?id=425

 

http://www.iusarecords.com/ViewRecord.aspx?id=124

 

中村竜曰く、

「海の中では最高8分間息を止めることができて、陸だと最高10分間も息を止めることができるんだよww マジで凄いんだから」

とのことで、それは8分間も息を止められる超人であれば、ビッグウェイブに飲まれることもさほど恐怖ではないに違いないだろう。

普段は1500人が乗る巨大な漁船のキャプテンを生業としており、2ヶ月間は船に乗りっぱなし、その後2ヶ月間はお休みという生活を送っているという。

その大きな漁船は、その航路の中で奄美大島や横浜港に寄港するらしく、奄美大島に別荘を持つ中村竜は奄美大島でBrandonと知り合い、以来一緒に潜ったりサーフィンしたりして友好を深めていった。

ある時、中村竜がこよなく愛するYono Peakの話しをしたら、Brandonは非常に興味を示したらしく、ちょうどこの台風10号のタイミングでBrandonの船が横浜港に寄港したので、この日の事態に至った。

なのでBrandonは自分のボードやウエットスーツなどのギアを持ち合わせておらず、Yono Peakの波に乗ってみたい情熱のみでここまでたどり着き、ゆえにこの日使っていたボードやトランクスなどのギア全部は中村竜の借り物だった。

そんなこんなでカメラを構えていると、セッションがスタートして一番最初にテイクオフしたのはBrandon Wahlersだった。

小さめのサイズの波に乗り、まずはYono Peakの波のバイブスチェックといった感じのドロップをみせていく。


Brandon Wahlers.

 

そんなスピアフィッシングの世界記録保持者であり、世界のビッグウェイバーにも認められるビッグウェイバーでもあり、言うならばガチ猛者ウォーターマンと言って過言ではないBrandonであるが、沖での振る舞いもかなり一流そのものだったらしく、自分がどんなにいいポジションにいても他の誰かがパドルした波には絶対に手をつけなかったという。

まさにそれはBrandonがLAにある非常に強いローカリズムを持つことで知られる場所で育ったことに加え、世界中のビッグウェイブスポットを巡って培ってきた豊かな経験からくるリスペクト・ローカルの気持ちの表れであり、そのことから、このセッションで乗った波はほんのわずかであったが、この日沖でセッションを共にした誰もが、ぜひまたBrandonにYono Peakに来てもらいたいと口を揃えたことは言うまでもない。


今年一番の波が湘南に押し寄せた9/5(土)と9/6(日)の2日間。じっとここで海を見続け、この波が来る瞬間を待ちわびていた中村竜。H.L.N.AのDA BOSSであり、セレクティブなアパレルMAGIC NUMBERを手掛け、そのほかにも日焼け止めのVERTRAの立ち上げに関わるなど、サーフシーンをインダストリーの部分から底上げするべく尽力する次世代リーダー的実業家としてのイメージが強い彼であるが、その本性はピュアにサーフィンを愛するサーファーそのものに他ならない。そして偶然か必然か。本日9/11(金)はそんな中村竜の誕生日!そんな日にこの記事をドロップすることとなった。竜くん誕生日おめでとうございます!Ryu Nakamura.

 


日本を揺るがしたビッグウェイバー故・佐久間洋之介の実弟であり、ビッグウェイブコンテスト”洋之介メモリアルカップ葉山”の主催者でもある佐久間泰介。もしかしたらここがサイズアップする特別な日には、今は亡き兄の姿を再び沖で見ることができるかも知れない。これまで刻んできた数々のセッションの中で、巨大でリスキーなコンディションはいくらでもあったが、その度に彼がみせてきた命をかえりみないそのクレイジーなそのチャージからは、目には見えない兄弟の絆を感じずにはいられない。Taisuke Sakuma.

 


Da Huiの最高幹部という立場でありながら日本に拠点を置き、ここの波が立つときには絶対の逃さないデビッドさんことDavid Stant.  Da Hui Backdoor Shootoutに日本チームが参加することができたのもデビッドさんの存在があってのことであり、この方の存在なくして松岡慧斗の12ptもなかったと言って過言ではない。David Stant.


中村竜と兄の中村豪の中村ブラとはまさにブラであるプロスノーボーダーの鶴ちゃん。Yono Peakのスロープを、パウダースノーにトラックを刻むかのごとく美しいダウンザラインをみせる。Tsuru Chan.


辻堂出身のビッグウェイブ・フリークの課長こと伊澤傑氏もここの波にみせられたひとり。Suguru”Kacho”Izawa.


中村竜とは同世代の辻堂出身のトップサーファー成田くんもここの波がブレイクしたときには必ず姿を現すひとり。Narita Kun.

 

この後干潮を迎えると共に波数も減り始めたところでセッションは終了。

一度昼食を取り、午後イチにもう一度Yono Peakをチェックしに行ったものの、激しい雨が降り始め、しばらくチェックしていたが波もサイズダウンしたかのように見えたので、見切りをつけて稲村ヶ崎へ。

このまま台風10号のグランドスウェルはダウンとなってしまうのか!?

が、しかしまだこの時、上げ潮に乗ってどんどんサイズアップを果たし、サイドだった風が綺麗なオフショアとなり、はるか沖の大稲村が時折ブレイクする人の少ないハードで美しい波に出逢えることをまだ知る由もなかった。

 

 

 

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ