Photos & Text by colorsmagyoge.

台風7号が最も関東に接近した8/16(金)。

前日の西湘での4×グランドチャンプ浜瀬海とJPSAトップシードの大矢ひいな、期待の中学一年生サーファー高井悠二朗といったレジェンド添田博道氏のバイブスを継承する添田サーフボード・ジャパン・チームたちとのセッションでは、夕方急激にサイズアップしてきたことから、さらに波が上がることを期待して、6年前にcolorsmag的伝説の台風セッションとなる波に遭遇した某所を狙うべく、夜中の3時に脇田泰地と合流し、車を走らせた。

強烈なゲリラ豪雨に短時間のみ襲われたが、意外にも撮影するのに心配していた雨が降り続くこともなく、まだ暗いうちに目的地に到着。

真っ暗ではっきり波が見えないが、しかし、そこには期待した波がないことは明らかであった。

このポイントはリーフブレイクで、岸が非常に近いことからダブル以上はないと逆に危険で、もしボトムで躊躇してチューブにネジ込めずスープの下にポジションしてしまったら、岩だらけの岸辺に打ち上げられる可能性があるエキスパート・オンリーと言って過言ではない場所なのである。

うっすらと明るくなってきて改めてこのポイントにはサイズが足りないことを確認したところで、これは早めに他のポイントに移動した方がいいかも知れないということになり、さらに車を走らせはじめたその瞬間、行く手を阻むかのように、線状降水帯による強風と強烈な豪雨に襲われた。

道路には木の枝やゴミなどが傍若無人に飛び交い、ワイパーを最速にしてもなお前が見えないほど雨は激しく、このまま走るのは命に関わる危険を感じたので一時コンビニの駐車場に避難することに。

6年前にここのポイントの伝説的な波をスコアした時にサーフィンした村上舜と村上蓮も合流する予定だったので、波も含めた現地の状況を伝えるべく一度電話してみると、数時間後にうねりはピークに達する予測ということで、わずかな可能性に賭けて今からこちらに向かって車を走らせると言う。

果たして、波は本当に上がってくるのか!?

しかし、とにかくここから動くこともできず、村上ブラの到着をコンビニの駐車場で待つことしかできなかった。

雨も止みはじめた頃になると、村上舜から連絡があり、もうポイントの前で波チェックしていると言うので、まずはメインブレイクで波チェックをしていたローカルの方々にご挨拶をし、さらに奥にある狙っていたポイントの目の前まで向かう。

波は村上舜が言った通り、若干サイズアップしていた。

しかし、それでもなおサイズが足りない感は否めず、セットはぼっくりとチューブが口を開けているが、本当に数少ないセット以外は岸に打ち上げられてしまうほどインサイドでやはりサーフィン不可能であるかのように思えた。

が、村上舜と村上蓮にはメイクできるラインが見えたのか、サーフィンをすると言ってウエットスーツに着替え始めた。

colorsmagとしては危険極まりないコンディション以外何者でもないにも関わらず、その横で脇田泰地も着替えはじめ、村上ブラに可愛がられている同じ湯河原出身の中学2年生サーファーの力石マヒナも日本を代表するトッププロサーファー3名に連れられて不安そうにパドルアウトしていった。

まず1本目の波にテイクオフしたのは村上舜。

Shun Murakami.

が、この波はミドルサイズの波だったので少し横に滑って様子を見つつ危険を回避するべくアイランド・プルアウト。

この辺のギリギリの線を見極める瞬時の判断力も、ハワイのパイプはもちろん、本格的な波での経験が豊かな村上舜ならではと言えた。

人が乗ると頭オーバーは余裕であり、見ているよりも実際に波は大きいことに気がついた。

そうこうしているとまたしても村上舜が、今度は少し右側に入ってきたセットの波を掴み、浅めながらもチューブをいとも簡単そうにメイクしてくる。

Shun Murakami.

奥のピークはあまりの浅さに2段掘れしていて、見るからにエグく、テイクオフすら難儀であることは明らかであった。

しかし、そんなこともお構いなしで、奥に入ってきたスラブなピークからレイトテイクオフで波を掴んだのは村上蓮。

そのままコンパクトに体を折り畳み、グラブレールでチューブの中を走って行くが、この波は速く、チューブの中で潰されてしまった。

Ren Murakami.

さらにそれを見て火がついたかのように、脇田泰地が奥のスラビーなピークにヒットした最大セットにパドリング。

テイクオフした瞬間に、もう一段チューブの中にリップが出現し、まさかのフリーフォールで洗礼を受ける。

このワイプアウトを陸で見ていたローカルサーファーたちからも思わずざわめきの声がもれる。

怪我は、大丈夫なのか!?

それほどまでにこのピークは岸から近く、見るからに浅いのである。

Taichi Wakita.

VANS PIPE MASTERSに招待選手として出場するほどの世界的に認められるパイプライナー脇田泰地を苦戦させるほどの魔物がここの波には棲みついていることを改めて痛感した。

雨が徐々に強まって来る。

6年前に見たここのTHE DAYの時も今日みたいな天気の日で、びしょ濡れになりながら撮り続けたことを思い出した。

今回もいつ来るかわからないこのセッション一番の波を待ち、カメラを構え続ける。

雨はさらに強まり、視界も悪くなってきた中、遥沖に数本のセットが入って来た。

1人のサーファーがパドルを開始する姿がファインダー越しに見える。

先ほど脇田泰地がフリーフォールを強いられた奥のピークから、強烈に掘れ上がる波にノーズが刺さりそうになりながらも見事なドロップをメイクしたのは、弱冠中学2年生の湯河原ボーイ、力石マヒナだった。

Mahina Chikaraishi.

さっきまでずっと先輩たちの勇姿をカレント側から眺めていて、もしかしたら乗らずに上がって来るだろうと思っていた中学2年生の少年が見せてくれた思わぬ勇姿に心が震えた。

と、その瞬間、雨はバケツをひっくり返したかのようなゲリラ豪雨と化したことからやむなく一度車に避難。

すると5分も経たないうちに雨は止み、ここまで来て撮り逃してはならぬと再びびしょ濡れのまま撮影ポジションに三脚を立てる。

そんな中、沖に再び数本セット入り、その波を脇田泰地が掴んだ。

先ほどフリーフォールした奥のポジションから、しかし今度は見事なレイトテイクオフからそのままチューブに突入していき、長い時間バレルの中を走り続けたものの、コーナーのセクションで高速チューブとなりアイランドプルアウトでフィニッシュ。

Taichi Wakita.

この波を最後に、メンバーたちはインサイドに向かってパドルをはじめ、海から上がって来た。

まさかやるとは思わなかったような見るからにリスキーなコンディションでの台風7号THE DAYセッションの第一部がこうして幕を閉じた。

日本指折りのスラブマスターたちによるスリリングな恐怖波乗りツアーに強制的に連行させられた中学2年生の力石マヒナ少年にとっては、夏休みの肝試しどころではない忘れられないセッションとなったことは言うまでもない。

が、しかし、この後、さらなる波を求めて動いたその先に、この台風7号THE DAYのラスボスと言って過言ではない怪物波が待ち受けていたことを、この時はまだ誰も知る由はなかった。

そして改めて、いつもここに来ることを快く受け入れてくださるローカルのみなさま、本当にありがとうございます。

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ