Photo: U-SKE.


BILLABONGが贈るサーフィンの核(コア)に迫るコンテンツ

「#BILLABONGCORE」のVol.2でスポットライトを当てるのは

Wave Of The Winter世界チャンプに輝く偉業を成し遂げた

世界を股にかけるウェイブハンター、松岡慧斗。

そんな彼が語る、偉業の裏側、次世代への思い、

誇るべき日本の波、自分を貫く生き方とは?


Movie: Hajime Aoki
Photo: Shinpei Takeuchi
Text: Jun Takahashi

<プロフィール>
松岡慧斗 まつおかけいと/1990年10月29日生まれ。宮城県仙台市出身。ウェイブハントを人生の軸に据え、国内外のうねりを追い求めながら表現を続けるプロサーファー。2019年、ハワイ・オアフ島ノースショアで行われたダ・フイ・バックドアシュートアウトで史上初となる大会最高得点12ポイントを獲得。このライディングにより、サーフラインが開催するビデオコンテスト、ウェイブ・オブ・ザ・ウィンターで総合優勝を果たし、日本人初の偉業を達成する。さらに2023年には、世界最高峰のビッグウェイブコンテスト、エディ・アイカウ・ビッグウェイブ・インビテーショナルに招待され、名実ともに日本を代表するビッグウェイバーとなった。


目標や夢を失うことの怖さを知った

BILLABONG(以下、B):ヘビーな波に惹かれるようになったきっかけを教えてください。

松岡 慧斗(以下、K):やっぱり地元になっちゃうかな。仙台新港には「シードックス」っていうローカルのグループがある。自分の親父世代なんだけど、とにかくでかい波に乗る先輩たち。シードックスのメンバーがそういう姿を見せていたから、「でかい波に行くのが格好いいんだな」っていう考えが、小さいながら頭にインプットされた。

B:サーフィンを覚えたころから始まってるんですね。

K:その先輩たちをどれだけ吹かすかみたいな思いで、怖い気持ちを殺してチャージしたことがきっかけ。その繰り返しで自然と今のサーフィンになった。「ビッグウェイバーなりたい」と意識したっていうよりは、育ちがそうさせたというか。

Photo: Motoko Kumagai

B:2019年1月14日、パイプラインでメイクしたライディングでウェイブ・オブ・ザ・ウィンター(以下、WOTW)を獲得しました。世界のサーフシーンでトップになったあと、自分のなかでどんな変化がありましたか?

K:おれ自身はそんなに変わらない。やっていることも変わらないし、自分の好きなことも変わらない。でも、あの夢を叶えたときに、すごく大きな穴が開いたっていうか……。目標や夢を失うことの怖さを知った。目標がなくなると、それまで怖くなかったものが怖くなったりする。

B:快挙を成し遂げて、じつは苦しみも大きかったんですね。

K:たしかにまわりの評価はいい方向に変わった。みんなからしてみたら、「よかったね」「夢叶えたね」「すごかったね」「あんなの一生の1本だよ」ってなる。もちろん自分のなかでもスペシャルなこと。だけど自分としては失ったものがでかくて、あれから数年間すごくつらかった。

B:ある意味、孤独な時間を味わった。

K:みんなから見えない部分ではそう。日本では、それをメイクしたことがある人間が自分しかいない。だから話を聞いてくれる仲間がいたとしても、気持ちの奥底の部分はわかってもらえないという思いも正直あった。そこをひとりで解決していかなきゃいけない。時は進んでるし、まだ現役だし、どうやったら前のようなモチベーションを自分にまた戻すことができるんだろうって模索した3〜4年間だった。


自分のスタイルを、個性を大事にしていいんだよ

というメッセージ

B:WOTW獲得後、ビラボンのライダーになりました。どんなことを思いましたか?

K:コンテストに出て、そこで結果を残して認めてもらってというのが日本の一般的なプロサーファー像だったと思うけど、逆方向に走ってきた自分がいた。その活動を人に認めさせることって時間がかかるし、やっぱりなかなか認めてもらえない。でもそんなの関係なしに堂々と自分のやることをやってきて、ああいう結果(WOTW獲得)を出せて、初めてビラボンというビッグスポンサーがついた。ビラボンにひとりのサーファーとして認めてもらって、「お前のスタイルでやっていいよ」って言ってもらえたことは本当にでかいし、感謝している。

B:サーフィンの核(コア)を体現してくれるサーファーは、サーフブランドには不可欠です。

K:ビラボンとおれの関係性は、これからの子たちに「自分のスタイルを、個性を大事にしていいんだよ」というメッセージにもなっていると思う。

エディに選ばれたいがために

ワイメアでサーフィンしてきたことは一度もなかった

B:昨冬、エディ・アイカウ・ビッグウェイブ・インビテーショナルに招待されたときはどんな気持ちでしたか?

K:ひとこと「本当?」みたいな。小さいころからワイメアにもチャレンジしていたし、ビッグウェイブにおいてそれなりの実績もあるけれど、エディにフォーカスして、エディに選ばれたいがためにワイメアでサーフィンしてきたことは一度もなかったから、疑ったのがいちばん最初。

B:セレモニーはどんな雰囲気でしたか?

K:なんて言うんだろう…… 神がかっていた。しびれるというか、鳥肌が立つというか…… 不思議な感覚だった。あの感覚は口で説明できない。とにかく、すごいエネルギーを感じた。

B:招待されてから、どんな準備を重ねていましたか?

K:自分のスキルをあそこで出しきるんだったら、どういう自分のつくり方をしたらいいんだろうと考えたときに、おれは山に登って、ひたすらパドルしまくった。

B:山登りとパドリング?

K:ワイメアは、気持ちとパドルがとくに重要。パドルが速くて、その波に乗れれば行ける。波の見極めとタイミングの合わせ方は、あれだけアールのある波をやっているから自信がある。じゃあ、おれに何が足りないかと言えば、パドル力とメンタル。そして、あの波に耐えられる体。山を踏めば足腰も強くなるし、ワイメアにドロップしたときにしっかり板踏めるはず。そしてガッツリ漕げれば、エグいところからちゃんとチャージできるかなと思って。

Photos: Shane Grace/BILLABONG

B:日本の若手プロサーファーについて思うことはありますか?

K:レベルは上がってる。でも、どこかで整列しがち。そして、どこかでうまい人を崇めがち。「お前はないのかな?」っておれは思う。だから「あいつ半端じゃないね。キレてるね。手に負えないね」ってヤツが出てこない。あの子たちがやっているシチュエーションにおれを入れたら、おれだってたいしたことない人間かもしれない。だけど、このジャンルでは誰にも負ける気はしないし、ほかのサーファーを崇めることもない。「おれはおれでしょ」という思いでやるからこそ、結果はついてくるものだから。

B:もっと自信を持って、堂々としていたほうがいいと。

K:そうしたら「いつか君がわからせる日が来るんじゃないの」って思うけど。そんな気持ちで、応援している。

日本にはいい波がいっぱいある。

B:世界中でウェイブハントを続けていて、あらためて「日本」について思うことを聞かせてください。

K:こんな国はない。本当にそう思えるくらい、日本っていうのはすごくスペシャルなところ。これを知らない日本人はもったいないって思っちゃう。

B:具体的にどんなところがスペシャルなんですか?

K:いろんな種類の波がある。そして、人がいない。いい波で人がいないところなんて、全世界探してもなかなかない。

B:どちらかと言うと、日本は波がプアーだと思われています。そんなことはないんですね。

K:ワールドクラスの波が割れているポイントが日本にはある。おれももっと知ってかなきゃいけないぐらい、日本にはいい波がいっぱいある。

B:知られていないけれど。

K:波が立つ回数が少ないだけで、ものすごくスペシャルなブレイクがいっぱい詰まった国だから。おれはこの日本に生まれて誇りに思う。日本人じゃなかったら、こんなスペシャルな波を持つことはなかったと思うと、日本に生まれて本当によかった。自分がウェイブハントする姿を見て、世界のサーファーたちも気になりはじめている。それならば彼らをウェルカムして、日本のよさを伝えていければいいのかなって思ってる。

Photos courtesy of Keito Matsuoka

B:いっぽうで、日本の海岸線は消波ブロックによる護岸が目立ちます。

K:やめてほしいね。できれば取ってほしい。「それひとつなかったら、あそこからここまで1本で乗りつなげたのかな」と思うことがよくある。絵的にも悪い。本当に必要ならば仕方ないけれど、「ぜったい必要ないでしょ」というものがほとんどな気がして。

B:慧斗さんの故郷である東北は、東日本大震災でどこよりも大きな被害を受けました。その後、たくさんの防潮堤ができていると聞きます。

K:全部は見ていないけど、前とはぜんぜん違う。「新しくつくったものすら、次に同じような津波が来たらまた飲み込まれちゃうんだろうな」ってやっぱり思っちゃう。でもあのときのつらさは、現場にいた人にしか本当にはわからない。防潮堤をつくることで、地域のみんなが少しでも安心できる場所になるんだったら、それはしょうがない。でも必要ないものは入れないでほしいと、心の底から思う。

B:慧斗さんの今の目標を教えてください。

K:全世界含めて、自分がやりたいときに、

やりたい波を一生追いかけて、

乗りつづけられるライフスタイルをつくること。

そんな人生にしたい。

B:サーファーにとって、シンプルかつ究極の夢ですね。

K:超シンプル。今はまだ全部が全部はできていない。「行きたいな。でもお金がないな」とか。ここで言うのは申し訳ないけれど、日本のサーフィン業界がそうさせたと思う。だって、サーフィンのあるジャンルの世界チャンピオンをとったのに、できるってことをわからせたのに、そのできるヤツに懸けてあげることができない業界なわけだよ。だったらつくっていくしかない。これから新しいことをやっていこうかなって思っている。

B:人生において、どんなことを意識していますか?

K:ゆっくり上がって、ゆっくり下がって、またゆっくり上がってという人生だったらベストなのかな。サーフィンと一緒。せかせかせかしながら波を取りにいったときは波が来ない。ゆっくりじっと待って、「来る」と信じる。そういう波長で生きていると、波は来る。無理していなければ、人生の悪いときもそんなにつらくない。やれることをやって、上がってきたなって思ったら徐々に上げればいい。


<ビラボンコアインフォメーション>
What is #BILLABONGCORE ?
ビラボンコアとは?

ビラボンの始まりは1973年。創始者であるゴードン・マーチャントがつくり出した良質なボードショーツは、ローカルサーフショップから瞬く間に世界中のサーファーたちに広まっていきました。「know the feeling(あのフィーリングを感じよう)」というフレーズかかげてグローバルブランドへと成長を遂げた今も、サーフィンを愛するシンプルなスピリットは変わりません。流行の移り変わりが早いこの時代だからこそ、サーフカルチャーを育みつづける海辺のボードメーカーやサーフショップの背景にある「歴史」という揺るぎない価値、核(コア)を見つめなおし、その魅力を伝えるべく生まれたコンテンツが「#BILLABONGCORE」です。サーファーたちのユニークな伝統を紡いでいくことは、世界のサーフシーンを長きにわたり支えつづけるビラボンの役割であると考えています。

https://boardriders.co.jp/blogs/news-billabong-mens/billabongcore-ver-2-0-vol-2

yoge
サーフィン・プレビュー/吉田憲右著・泉書房、古都鎌倉ミステリー旅/吉田憲右著・コスミック出版など数々の書籍を発行し、2000年にTRANSWORLD SURFの外部スタッフとなったのをきっかけにメディア界に参入。 2001年から2009年10月まで月刊SURFING WORLDの編集部兼カメラマンとして勤務。 その経験と共に、第1回NSA東日本サーフィン選手権大会Jrクラス3位、2年連続THE SURFSKATERS総合チャンプなどテストライダーとして培ってきた経歴を活かし、サーフィンを軸としたスケートボード、スノーボード、ミュージック、アート全般をひとつのコーストカルチャーとしてとらえ、心の赴くままにシャッターを押し、発信し続ける。 >>>出版物 >>>プライベート撮影問い合わせ