Photos & Text by yy. Water Shot by JET.
湘南での春一番セッションを終えた後、
EllisはSSJで製作されたMade In Japanの板を積み
一路東京へと向かった。
都内に向かう車中でEllisは日本への思いを語り始めた。
「今回来て思ったけれど、やっぱり確信したよ。次回来た時は少しこの国で住みたい。数ヶ月間位、ガールフレンドと一緒に。」
そして更にEllisは話し続けた、、、
「実は俺のオヤジもシェイパーでオーストラリアのNirvanaってブランドでシェイプをしていたんだ。でも俺たちが生まれた頃に、俺たちを安定して養う為に、他の仕事にも従事し始めたんだ。その仕事で日本に年に数十回と来る様になり、日本語も学び、いつも俺たちに日本の素晴らしさや、日本人の道徳観とかを語ってくれた。そんな父親の影響もあり、いつも気になっていた場所なんだ。でもホント今回来て強く感じたよ。波はバリとかバイロンベイよりもスペシャルじゃないけど、それと同じ位魅力的な人々や文化がここにはある。出来ればもっとここに滞在して色々学びたいな。」
Pilgrim @ BEAMSイベントへの参加を目的に
来日したように見えた今回のツアーだったが、
なんとEllisにとってはそれはただのミッションであり、
日本と自分とのバイブス、そして縁や実体験から来る
見えない磁場に引き寄せられるかのように、
来日していたのだった。
Ellis Ericson.
なるほど、
Ellisの日本文化への敬意や思いは決して、
社交辞令では無く、父親のルーツと影響を
受け継ぐものであったと理解できた。
そしてサーフィンに於いても、
太いラインから繰り出されるその温故知新スタイルには
ルーツや家族に対する尊敬が現れている。
Ellis Ericson.
余談になるが、
Nirvana サーフボードはBill Cillaが70年代初期からスタートさせた
オーストラリアを代表するアンダーグラウンドサーフブランドであり、
80年代には、故Mark “Sanga” Sainsbury、Mr. XことGeln Winton、
Ross Clark Jones、Shane Powellなど蒼々たるメンツが
Nirvanaサーフボードを愛用していた。
Nirvanaは現在もアンダーグラウンドであり続け
コーマーシャルでは無いがしっかりと地元に根付き
活動しているボードメーカーである。
想像もしなかった日本とEllisの繋がりや理由を知り、
今迄以上に親近感も沸いたと共に、
少しでも何か手助けになればと気持ちも強くなった。
BEAMSに到着すると既にそこは、
最先端のトレンドに敏感な人々がサーフカルチャーを体験しに
店頭から溢れんばかりに賑わっていた。
Ellisはそこでも出会う人々と気さくに会話をし、
どんな環境にも溶け込む柔軟性を発揮していた。
都内での久々のパーティーナイトを楽しんだ翌日。
帰路に近い千葉へと、
少し遅い夕暮れセッションを狙って、
某ポイントを目指した。
メインの人混みから少し外れたポイントで
中浦”JET”章と共に、
ほぼ貸し切りセッションを日暮れまで楽しんだ。
EllisとJetの夕暮れセッション。
まるでそこは80年代マルイプロの練習セッションを見ている様な
ノスタルジックでもあり、新しくもある光景であった。
Above : Ellis Ericson. Below : Akira”JET”Nakaura.
翌日の帰国日も、
中浦”JET”章に合流しメローな千葉の波を軽く楽しみ、
今回の旅の余韻に浸りながら、
また次回日本へ戻るプランを語っていたEllis。
滞在中に何度も垣間みた彼のスタイル。
出会いを大切にし、ルーツを尊重し、文化を楽しむ。
Ellisが日本を再度訪れる時、
望んでいることは何百本の板を削ることや、
とてつもない台風をスコアすることで無い。
けれど出会った人々や仲間と同じ時間を楽しく過ごしたい。
そんなシンプルな目的が彼のモットーである。
温故知新という言葉がEllisには当てはまる。
今回、彼を通して日本を見て、
改めて日本の技術や文化そして人々に誇りを持つことが出来た。
Thank you and see you very soon mate!